飯能市(読み)ハンノウシ

デジタル大辞泉 「飯能市」の意味・読み・例文・類語

はんのう‐し【飯能市】

飯能

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日本歴史地名大系 「飯能市」の解説

飯能市
はんのうし

面積:一三四・六〇平方キロ

県の南部に位置し、東は狭山市・入間いるま市、西は入間郡名栗なぐり村・秩父郡横瀬よこぜ町、南は東京都青梅市、北は比企郡都幾川ときがわ村・入間郡越生おごせ町・同郡毛呂山もろやま町・日高市。面積は県下四二市中最も広いが、そのほとんどが山地で占められている。東部を南北に走るJR八高線によって、東部の平地と北西部の山地に分けられる。北西端に位置する刈場坂かりばさか峠が標高八七九メートルと最高点で、ここから南と東へ山稜を分岐、北西部から高麗こま川が、西部から入間川(通称名栗川)が東流する。入間川の谷口に市街地が開け、南の加治かじ丘陵、北の高麗丘陵によって区画される。国道二九九号と西武鉄道池袋線・秩父線が高麗川に沿って走り、いずれも正丸しようまるトンネルを抜けて秩父市に至る。そのほか主要地方道飯能―寄居線、青梅―飯能線、飯能―名栗線、青梅―秩父線、秩父―名栗線などが走り、各地と結ばれる。なお国道二九九号はかつての秩父往還(江戸秩父道)の後身で、秩父・飯能と江戸を結ぶ商業路として、また江戸から秩父札所へ向かう最短路として重要な道であった。市名の飯能は江戸時代の飯能村、近代の飯能町を継承している。

〔原始〕

南小畔みなみこあぜ川とその支流沿いの台地上にある向原むかいはらA遺跡・うえはら遺跡・屋渕やぶち遺跡、成木なりき川流域の曾根そね遺跡・新坂にいさか遺跡、入間川流域の山地にある小岩井渡場こいわいわたつぱ遺跡で旧石器時代の遺物がみられる。小岩井渡場遺跡では発掘調査で六地点の礫群を発見、尖頭器を主体にして、ナイフ形石器や掻器・石刃・石核・細石刃核などが出土した。また同遺跡では縄文時代草創期の微隆起線文・爪形文・撚糸圧痕文土器が発見されている。縄文時代前期の遺跡はほぼ市内全域にみられる。小岩井渡場遺跡では竪穴住居跡二一が発掘され、関山式土器や石器類が多量に発見された。とくに黄白褐色の頁岩製の両頭尖頭器は注目される遺物である。縄文時代中期の遺跡では、南小畔川右岸にある芦苅場あしかりば遺跡で竪穴住居跡八と土壙三が発掘されている。このうち七軒の竪穴住居跡から中期初頭の勝坂式土器、ほかの一軒と土壙からは加曾利E式土器が出土した。このほか堂前どうまえ遺跡が知られている。縄文時代後・晩期の遺跡は、南小畔川と成木川流域、入間川の河岸段丘上に集中している。成木川の支流直竹なおたけ川流域の中橋場なかはしば遺跡、入間川の河岸段丘上の加能里かのり遺跡が発掘調査されており、中橋場遺跡では四四の配石遺構をはじめ、土壙・集石・立石・埋甕の遺構が発見され、多量の遺物が出土している。


飯能市
はんのうし

2005年1月1日:飯能市が入間郡名栗村を編入
【名栗村】埼玉県:入間郡
【飯能市】埼玉県

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「飯能市」の意味・わかりやすい解説

飯能〔市〕
はんのう

埼玉県南部,秩父山地の南東麓に位置し,入間川高麗川の上流域にある市。 1954年市制。 2005年名栗村を編入。中心市街地の飯能は,入間川の谷口に位置し,江戸時代中期から6と 10の日に市が開かれ,穀類,縄,炭,織物,生糸などの交易と,入間川支流の名栗川流域に産する西川材の筏流送の中継地として繁栄。明治以後は,製材業が繊維工業とともに市の工業の中心をなしてきた。近年は電気機械工業が立地。ほかにチャ (茶) ,クリ,ブドウ,野菜栽培や酪農,畜産が行なわれる。東京の首都圏拡大に伴う住宅地化も進行。 JR八高線,西武鉄道,国道 299号線が通る。 1951年市のほぼ全域が奥武蔵県立自然公園に指定,天覧山正丸峠名栗渓谷,宮沢湖など景勝地が多い。高麗川流域の吾野 (あがの) 地区は観光果樹園経営が盛ん。面積 193.05km2。人口 8万361(2020)。

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