デジタル大辞泉
「安達景盛」の意味・読み・例文・類語
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あだち‐かげもり【安達景盛】
- 鎌倉前期の武将。出羽介となり秋田城を管領。のち執権北条時頼の外祖父として勢力をもち、時頼にすすめて相模の三浦氏を滅ぼす。宝治二年(一二四八)没。
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安達景盛
あだちかげもり
(?―1248)
鎌倉前期の武将。父は盛長(もりなが)、母は丹後内侍(たんごのないし)。源頼朝(よりとも)挙兵以来、父とともに仕え、幕府開創に尽くす。2代将軍頼家(よりいえ)、3代将軍実朝(さねとも)にも仕え、幕府の重鎮であった。実朝の死に際しては多くの御家人(ごけにん)とともに出家した。この間、1218年(建保6)に秋田城介(あきたじょうのすけ)となり、以後この地位は安達氏の世襲となった。出家後は大蓮房覚智(地)(だいれんぼうかくち)と号し、高野山(こうやさん)に入り、実朝菩提(ぼだい)のために金剛三昧院(こんごうさんまいいん)を建立した。高野山にありながらも幕府の要請にこたえて幕政に参画し、とくに北条経時(つねとき)、時頼(ときより)の執権時代にはその外祖父として権勢を振るった。1247年(宝治1)には時頼と謀って三浦氏を討った。また父の代より上野(こうずけ)(群馬県)、三河(愛知県)両国の守護人となっており、上野国では在地武士の被官化が進められていた。
[山本隆志]
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安達景盛 (あだちかげもり)
生没年:?-1248(宝治2)
鎌倉前期の武将。盛長の長子。父とともに源頼朝に重用され,1218年(建保6)出羽介となり秋田城を支配して秋田城介(じようのすけ)と称される。将軍源実朝の死(1219)により出家し高野山へ入る。法名大蓮房覚智。出家後も幕政に深く関与し,娘(松下禅尼)の子北条経時・時頼が執権のときには外祖父として勢威をふるい,1247年三浦氏を滅ぼして北条氏に次ぐ御家人となった。
→宝治合戦
執筆者:青山 幹哉
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安達景盛
没年:宝治2.5.18(1248.6.11)
生年:生年不詳
鎌倉前期の武士。盛長と丹後内侍との間に生まれ,父と共に源頼朝の近習として仕える。頼朝の死後,子の頼家に妾の問題で危うく命をうばわれかけたが,北条政子に救われ,以後,北条氏との親密な関係を保つ。頼家側近の梶原景時を追い落とすことに力を尽くし,建保6(1218)年には出羽介に任じられて秋田城介を復活し,こののち,安達氏は秋田城介を世襲することになる。承久1(1219)年に源実朝が暗殺されると,出家して覚智と称し,高野山にその菩提を祈る金剛三昧院を建立。高山寺の明恵との親交もあったが,娘の松下禅尼が生んだ北条時頼が執権となったことから,宝治1(1247)年に高野山から鎌倉に下りて,子の義景と共に三浦氏を滅ぼす中心となった。
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安達景盛【あだちかげもり】
鎌倉時代の武将。藤九郎盛長の子。出羽介(でわのすけ),秋田城介(じょうのすけ)。源実朝没後高野山にはいって出家したが,その後も幕政の枢機に参画し,承久の乱にも参軍した。執権北条時頼の外祖父として権勢を振るい,1247年時頼と策謀して三浦氏を滅ぼした(宝治合戦)。
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安達景盛
あだちかげもり
?~1248.5.18
鎌倉前・中期の武士。父は盛長,母は比企尼(ひきのあま)の女。弥九郎と称する。父とともに源頼朝に仕える。1218年(建保6)秋田城介(じょうのすけ)となり,この職は以後安達氏の世襲となる。19年(承久元)将軍源実朝の死を機に出家し,覚智と号す。やがて高野山に登り,金剛三昧院を建立。執権北条経時・同時頼の外祖父として,高野山にいながらしばしば幕府政治にも関与。とくに時頼と子の義景に有力御家人三浦氏への警戒を説き,47年(宝治元)三浦氏を攻め滅ぼさせた(宝治合戦)。
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安達景盛 あだち-かげもり
?-1248 鎌倉時代の武将。
安達盛長(もりなが)の長男。父とともに源頼朝につかえ,建保(けんぽ)6年出羽介(でわのすけ)となり秋田城を支配するが,翌年将軍源実朝(さねとも)の死をいたんで出家し,高野山にはいる。娘松下禅尼の生んだ北条経時(つねとき),時頼(ときより)が執権につくと外祖父として権勢をふるい,宝治(ほうじ)元年三浦氏をほろぼした。宝治2年5月18日死去。通称は弥九郎。法名は大蓮房覚智(地)。
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安達景盛
あだちかげもり
?〜1248
鎌倉前期の武将
藤九郎盛長の長子。法名覚地。大蓮坊と号す。1218年出羽権介・秋田城介となる。源実朝の死により出家。その後も幕府の諮問に応じ承久の乱(1221)に参加。執権北条時頼のとき外祖父として権勢をふるい,'47年時頼と策謀して三浦氏を滅ぼした(宝治合戦)。
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安達景盛
あだちかげもり
[生]?
[没]宝治2(1248).5.18.
鎌倉時代前期の武将。盛長の子。出羽介。執権北条時頼の外祖父として権勢をふるい,三浦氏を滅ぼした。 (→宝治合戦 )
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