口和田村(読み)くちわだむら

日本歴史地名大系 「口和田村」の解説

口和田村
くちわだむら

[現在地名]五日市町口和田

おにじよう(二八二・五メートル)の北西麓に位置する。村はかみ・下の二地区に分れ、その間に利松としまつ村を挟む。「芸藩通志」によれば、もと和田村と称したが、山間部に同名の和田村(現湯来町)が成立して奥和田おくわだ村とも称したので、当村は口和田村とよんで区別したという。奥和田村への入口にあたることによるともいう。

元和五年(一六一九)の安芸国知行帳では「和田村」とみえ、高二六一石余。正徳二年(一七一二)の「所務役人頭庄屋郡邑受方記」は「口和田村」と記す。広島藩領で明知・給知入交じり。「芸藩通志」によれば村域は「広四町、袤二十五町」で、生業は南の高井たかい村と同じく農業のほかに山稼を主とし、家数五四・人数二二一、牛二三。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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