古代山陰道

共同通信ニュース用語解説 「古代山陰道」の解説

古代山陰道

律令りつりょう制度の下で都と地方を結ぶために整備された七つの主要官道「七道駅路しちどうえきろ」の一つで、近畿山口県までの日本海側を結んでいたとみられる。鳥取県内でもこれまで複数の道路遺構が見つかっている。鳥取市青谷横木あおやよこぎ遺跡からは7世紀末~8世紀初めに整備された道路跡が確認されている。幅6~7メートルで、石と粘土を高さ約1・4メートルまで盛って整備していた。また10世紀の条里制による区画整理跡もあった。

更新日:

出典 共同通信社 共同通信ニュース用語解説共同通信ニュース用語解説について 情報

中国のゴビ砂漠などの砂がジェット気流に乗って日本へ飛来したとみられる黄色の砂。西日本に多く,九州西岸では年間 10日ぐらい,東岸では2日ぐらい降る。大陸砂漠の砂嵐の盛んな春に多いが,まれに冬にも起る。...

黄砂の用語解説を読む