古代山陰道
律令制度の下で都と地方を結ぶために整備された七つの主要官道「七道駅路」の一つで、近畿と山口県までの日本海側を結んでいたとみられる。鳥取県内でもこれまで複数の道路遺構が見つかっている。鳥取市の青谷横木遺跡からは7世紀末~8世紀初めに整備された道路跡が確認されている。幅6~7メートルで、石と粘土を高さ約1・4メートルまで盛って整備していた。また10世紀の条里制による区画整理跡もあった。
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出典 共同通信社 共同通信ニュース用語解説共同通信ニュース用語解説について 情報
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