古代日本の律令(りつりょう)体制下における土地区画制度。方格の耕地区画としての条里地割と、条・里・坪(つぼ)による土地の表示方式としての条里地番法を組み合わせて耕地を国家的に支配・管理し、班田制度を補完する役割を果たした。条里地割は、『日本書紀』『拾芥抄(しゅうがいしょう)』やその他の文献史料によると、古代から中世にかけて阡陌(せんぱく)とよばれている。
[服部昌之]
その耕地区画は、方1町(1辺が60歩(ぶ)、約109メートル)の坪区画が基本で、坪(田積1町=10段)内部の地割は幅12歩・長さ30歩の半折(はおり)型と、幅6歩・長さ60歩の長地(ながじ)型に分けられる。いずれも田積は1段である。坪の上位の単位は方6町の里区画で、1坪から36坪の通し番号をつけるが、その配列(坪並(つぼなみ)という)には各行の数字順を折り返して続ける連続(千鳥)式と、それが同一方向となる平(並)行式とがある。また里の位置は、郡を単位として数字番号をつけた条と里を縦横の座標軸として組み合わせて五条六里九坪のように示すが、条と里のかわりに図・里や条・坊を用いたり、真野条七成相里のごとく地名による場合もある。
[服部昌之]
条里制の成立過程はかならずしも明確ではない。しかし6世紀末から7世紀初頭に条里型地割が局地的に出現した可能性が高く、さらに7世紀後半から8世紀中期にかけて、全国の平野において既成の耕地を再編し、新たな土地開発を進めて施行されたものと推定される。班田収授のための条里地割による耕地の規格化は、水利施設や農道の整備を伴う大規模な土木事業であり、農業生産の発展と安定に大きく寄与して農業史の画期となった。耕地の所在は小字(こあざ)地名と四至(しいし)で表示されていたが、717年(養老1)ころには山背国(やましろのくに)久世(くぜ)郡路里一七坪のように地名による里と坪地番で示され、さらに8世紀中期には大倭国(やまとのくに)広湍(ひろせ)郡二〇条五里六坊(坪)のごとく、郡ごとに数字による条と里の地番法が導入される。この新たな条里地番法は、墾田永年私財法(こんでんえいねんしざいほう)という土地政策に応じて耕地の位置と面積・範囲を厳密に掌握するための統一的な措置であり、班田図・校田図・田籍・青苗簿(せいびょうぼ)など律令国家の基礎となる土地関係諸記録における登録様式は、よりいっそう整備されることとなる。したがって8世紀中期は土地制度としての条里制の完成期であった。現存する班田図や開田図、墾田図は条里に従って図示されており、また条里坪付(つぼつけ)を記した荘園(しょうえん)関係の史料も数多く伝来している。条里地割、条里地番法および条里制は、都京・国府などの都市、駅路を主とする幹線交通路、地方行政組織としての国郡制の領域と境界などと緊密な関連性を保ちながら計画され、施行されたことが注目されている。
[服部昌之]
しかし10世紀から11世紀初頭になると、国司や国衙(こくが)によって条里地番が拡張・修正されて条里地割以外の土地をも広く包括することとなり、ついで11世紀後半から12世紀前半では、条里地番は国衙、荘園領主、在地領主などによって恣意(しい)的に変更されるとともに、新しく開発された耕地や荒廃した耕地では条里地番がとられなくなる傾向が進む。さらに12世紀後半から14世紀前半の時期では、それが荘園や所領単位ごとに再編されるため形骸(けいがい)化して条里地割と分離し、その後はほとんどの地方で姿を消すのである。条里制の変容と崩壊の時期である。
[服部昌之]
条里地割は現代にその遺構を伝え、奈良盆地、京都盆地、大阪平野を中心に、瀬戸内海沿岸から北九州、あるいは近江(おうみ)盆地、伊勢(いせ)平野、濃尾(のうび)平野、福井平野などに広く分布し、そこには三条、七里、五坪などの条里地名が多数遺存している。また東北地方の秋田平野、横手盆地、南九州の国分(こくぶ)平野、川内川(せんだいがわ)下流平野、あるいは佐渡(さど)、隠岐(おき)、小豆島(しょうどしま)などの離島や、高山盆地、阿蘇(あそ)火口原などの山間盆地においても、その遺構が確認されている。古代の耕地区画の大部分が荒廃と再開発を繰り返して改変されながらも現代まで維持されてきたことを示しているが、最近の都市化と圃場(ほじょう)整備によって急速に遺構が消滅しつつある。また一方、発掘調査が進んで、地下に埋没した条里地割の水田址(し)が数多く明らかにされて注目されているものもある。
[服部昌之]
『落合重信著『条里制』(1967・吉川弘文館)』
古代日本に行われた耕地の地割の制。6町=60歩×6=約650m間隔に土地を縦横の道路や畦畔(けいはん)で方格に区画し,横(東西)の列を条(または図),縦(南北)の列を里とし,それぞれ起点から順次数字を冠して何条・何里と呼ぶ。またこのようにしてできた6町平方の区画(これをまた固有名詞を付して何々里という)の各辺を1町ごとに6等分し,1里内を方1町の地積をもつ36の坪に分かち,それらを(1)千鳥式(連続式),または(2)並行式の数え方に従って,1坪から36坪まで呼称する。さらに坪内の地割は,(1)60歩×6歩=1段の細長い区画に10等分された長地(ながち)型(短冊(たんざく)型)か,(2)30歩×12歩=1段の長方形の区画を2列に並べて10等分した半折(はおり)型(色紙型)のいずれかを基本として分けられている。このような条里制地割は実際は畔(あぜ),溝,道路などによって区画され,だいたい郡単位に統一されている。したがって条里制の称呼法によると,1国内の土地は〈○郡○条○里○坪〉と表記され,さらに坪境の畦畔を畔本(縄本(なわもと))と呼んで,何畔本何段目としてある1筆の耕地の位置を的確に指摘することができる。
条里の方位は正しく東西南北をさすのが一般であるが,地形などの影響によって,国郡全体が偏向している場合もあり,また1郡内に部分的に偏向条里地域を含むこともある。条里の称呼の起点のとり方も,山脚あるいは海岸と一定せず,大和は中央幹線道路(下ッ道)が基準とされ,越前は1郡を4分してその中央交点が起点となっている。古文書・古地図,現存の遺構・地名などによって進められた復原研究の結果によると,条里制地割はほとんど全国各地の平野部に展開しているが,とくに畿内,北九州,瀬戸内,近江から東へ出た濃尾平野,北へ出た福井平野にいちじるしく発達し,東北,関東,山陰,南九州は部分的である。
古代条里制の起源や施行細則については古代の文献にまったく記載がなく,14世紀初めの《拾芥抄(しゆうがいしよう)》や,ほぼ同じころの大徳寺領播磨国小宅荘絵図が条里制について説いた最初のものである。また条里制称呼法の実施を示す最も早い史料としては,絵図では735年(天平7)の弘福寺領讃岐国山田郡田図,751年(天平勝宝3)の近江国水沼村覇流村絵図が,文書では743年の山城国久世郡弘福寺領田数帳がある。
耕地を方格に区分することは,近時各地で発掘された弥生時代にさかのぼる水田址にも認められ,また大宝令に始まる町段歩制に先行して,1町=500代(1代ははじめ稲1束を収穫する田積を意味した)の代(しろ)制地割の存在することから,7世紀に施行されていたのは確実であるが,現在遺存する条里制地割がすべてその時代の遺制であるとは限らず,施き直されたものや,時代を下るものも多い。また条里制称呼法の起源も,〈里〉が郷里制の〈里〉とも共通すること,班田図が条里制の各条ごとに1巻をなすように作成されたことなどから,郷里制が廃止され,班田図が全国的に整備されるようになった740年代(天平中期)ごろではないかとも考えられている。ただ条里制地割の遺構は最近全国的に進捗した圃場整備によって,遺憾ながらその多くが消滅し,地籍図を基に大縮尺の地図上に復原するよりほかに方法がなくなっている。
執筆者:岸 俊男
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土地を1辺1町(約109m)の方格(坪)に区画した地割の集合体として管理する制度。6町方格を最大の単位とし,そのなかで1の坪から36の坪まで,千鳥式ないし平行式で番号をふった。坪の内部の区切り方には長地型と半折(はおり)型がある。1の坪から6の坪までの1辺を基準として,直交する方向を条(または図),平行する方向を里とする。条・里にも1から順に数字をふったが,1の坪から6の坪へ進む方向に条の数が増え,坪付の数が増えていく方向に里の数が増えていく。その結果「某国某郡某条某里某の坪」と坪の地点の表記が可能となった。某条某里には「何々里」のように固有名詞が付されることが多い。条里制の起源,班田制とのかかわり,現在表層に残っている条里型地割と条里制の関係などについては議論がある。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
出典 旺文社日本史事典 三訂版旺文社日本史事典 三訂版について 情報
…〈つぼづけ〉とも読む。〈坪〉とは条里制における区画・面積の単位であるが,田地の所在地と面積をこの条里の坪によって帳簿上に記載すること,およびその帳簿そのものを〈坪付〉という。律令国家は,租税賦課のために,損田や不堪佃田(ふかんでんでん)の数を調査記載した帳簿=坪付帳を国司に提出させた。…
※「条里制」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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