合戦原古窯跡群(読み)かつせんはらこようせきぐん

日本歴史地名大系 「合戦原古窯跡群」の解説

合戦原古窯跡群
かつせんはらこようせきぐん

[現在地名]山元町高瀬 合戦原・館下、真庭 北名生東・戸花山

阿武隈山地が太平洋岸の沖積平野へ派生した標高一五―三〇メートルの丘陵地帯にある。北は高瀬たかせ川、南は戸花とばな川に挟まれ、その間を国道六号が南北に縦断する。合戦原台はその西側に位置する。窯跡は丘陵斜面の北の館下たてした、東の戸花山、西の北名生東きたみようひがしに数基ずつまとまって散在する。昭和三七年(一九六二)頃に分布調査を含めて実施された。窯は二〇―三〇度の傾斜面に構築された地下式の窖窯で推定全長約一〇メートル前後。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

菊の節供,九月節供,重九 (ちょうく) ともいう。五節供の一つ。旧暦9月9日の節供で,奈良時代より,宮中では天皇が紫宸殿に出御し,群臣に宴を賜わり詩歌文章をつくらせる菊花の宴が行われ,年中行事となった...

重陽の用語解説を読む