日本歴史地名大系 「高瀬村」の解説
高瀬村
たかせむら
中世には東の
高瀬村
たかせむら
高瀬村
たかせむら
- 山口県:新南陽市
- 高瀬村
「地下上申」の元文二年(一七三七)の上申による総高は一千八八石余(田数二八町余、畠数六三町余)、家数一七〇、人口六二八であるが、寛延元年(一七四八)では総高一千九二石余、家数二五一、人口八一一と増えている。
高瀬村
たかせむら
- 大分県:中津市
- 高瀬村
東は
高瀬村
たかせむら
北と東は
高瀬村
たかせむら
高瀬村
たかせむら
高瀬村
たかせむら
高瀬村
たかせむら
- 青森県:五所川原市
- 高瀬村
岩木川下流右岸に位置し、東は
貞享四年(一六八七)の検地帳に高瀬村田方三二町六反二畝二九歩・畑方七町二反一歩、田畑屋敷合せて三九町八反三畝、村高二五六・六一一石、留林五ヵ所とある。「五所川原市史年表」は慶安三年(一六五〇)木村林右衛門の開拓とするが、「平山日記」は寛永年間(一六二四―四四)に開発された五所川原新田の一つとし、天和元年(一六八一)五所川原遣の成立によってこれに属した。前田村を高瀬村と改称(三好村郷土誌)、元禄三年(一六九〇)には広田組に属し、村位は下で、家数二四、うち庄屋一・百姓一三・水呑一〇であった(平山日記)。
高瀬村
たこせむら
高瀬村
たかせむら
高瀬川南岸にあり、北対岸は
高瀬村
たかぜむら
- 佐賀県:伊万里市
- 高瀬村
西は
村内の小字名としては
高瀬村
たかせむら
高瀬村
たかせむら
高瀬村
たかせむら
高瀬村
たかせむら
高瀬村
たかせむら
高瀬村
こうぜむら
- 佐賀県:武雄市
- 高瀬村
現西川登町の北東部に位置し、高瀬山西麓一帯。
永仁七年(一二九九)六月五日の長嶋庄高瀬山田畠山野下地中分状(橘中村家文書)によれば、長島庄惣地頭橘薩摩氏が
高瀬村
たかせむら
高瀬村
たかせむら
井波町の北西、
高瀬村
たかせむら
高瀬村
たかせむら
- 高知県:中村市
- 高瀬村
高瀬村
たかせむら
高瀬村
たかせむら
高瀬村
たかせむら
高瀬村
たかせむら
高瀬村
たかせむら
高瀬村
たかせむら
高瀬村
たかせむら
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報