出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
香川県西部、三豊郡(みとよぐん)にあった旧町名(高瀬町(ちょう))。現在は三豊市の中央東部を占める一地区。1955年(昭和30)上高瀬、勝間、比地二(ひじふた)、二宮、麻(あさ)の5村が合併して町制施行。2006年(平成18)山本(やまもと)、三野(みの)、豊中(とよなか)、詫間(たくま)、仁尾(にお)、財田(さいた)の6町と合併して市制施行、三豊市となる。JR予讃(よさん)線、国道11号が通じる。高松自動車道のさぬき豊中インターチェンジが近い。高瀬川に沿う沖積平野と陣山、傾山、朝日山などのビュートや大麻(おおさ)山などの丘陵性の山地からなり、2000以上の溜池がある。平野部では米、山麓(さんろく)部ではブドウ、ミカンの果樹栽培が盛ん。南部の丘陵地では優良品種の茶畑が造成され、その用水の一部は香川用水に負っている。国の史跡に二ノ宮窯跡がある。
[稲田道彦]
『『高瀬町誌』(1975・高瀬町)』▽『『高瀬町史 史料編』(2002・高瀬町)』▽『『高瀬町史 民俗・自然編』(2003・高瀬町)』
熊本県北部、玉名市(たまな)の一地区。有明(ありあけ)海に注ぐ菊池川の河口から約8キロメートル遡上(そじょう)、繁根木(はねぎ)川との合流点にあり、玉名市街地形成の礎石となった旧河港町。南北朝時代に菊池一族が保田木城(ほたぎじょう)を築き、元(げん)・明(みん)、高麗(こうらい)・朝鮮(李朝(りちょう))と交易を行ってより、肥後の主要な河港として栄え、藩政時代には「肥後五か町」(熊本・川尻(かわしり)・高橋・八代(やつしろ)・高瀬)の一つとして、町奉行(まちぶぎょう)・御蔵(おくら)などが置かれ、一般在町とは異なった町造りがなされた。明治維新後も高瀬町区として、久しく玉名地方の政経・文教の中心地であったが、河川交通の衰退、陸上交通の再編、さらに市町村合併などによる中心地の移動で、現在では、その中心市街地としての性格が薄れている。
[山口守人]
出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
出典 平凡社「普及版 字通」普及版 字通について 情報
〘 名詞 〙 年の暮れに、その年の仕事を終えること。また、その日。《 季語・冬 》[初出の実例]「けふは大晦日(つごもり)一年中の仕事納(オサ)め」(出典:浄瑠璃・新版歌祭文(お染久松)(1780)油...
12/17 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
11/21 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
10/29 小学館の図鑑NEO[新版]動物を追加
10/22 デジタル大辞泉を更新
10/22 デジタル大辞泉プラスを更新