日本歴史地名大系 「亘理郡」の解説
亘理郡
わたりぐん
〔原始〕
丘陵北部の東麓、手掌状台地に遺跡が多く、国道六号とほぼ並列して各時代の遺跡が分布する。小河川によって形成された沖積地や浜堤には数遺跡があるのみ。亘理町
〔古代〕
奈良・平安時代の集落遺跡は約四七ヵ所あり、丘陵先端部に分布する。そのなかの吉田の
郡の創置年次は明らかでないが、「旧事本紀」国造本紀に「思国造」とある「思」を曰理とする説があり、国造制が国郡制になる際に郡に編成替えされたとすると、陸奥国(道奥国)創置時から存在した郡となる。陸奥国創建を七世紀中頃とみると七世紀後半にはこの郡は存在したことになる。郡名は「続日本紀」養老二年五月二日条に「割陸奥国石城・標葉・行方・宇太・曰理・常陸国之菊多六郡、置石城国」とみえ、曰理郡は
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報