吉備村(読み)きびむら

日本歴史地名大系 「吉備村」の解説

吉備村
きびむら

[現在地名]桜井市大字吉備

大福村の南に所在。慶長郷帳の村高六五一・七七石。旗本別所孫次郎領。元和二年(一六一六)孫次郎が同僚の旗本伊藤治明との喧嘩が原因で改易されたため幕府領(代官竹村嘉理)となる。元和五年郡山藩(松平忠明)領となり、のち同藩の二割半無地高増政策で村高八一四・七一三石。延宝七年(一六七九)再び幕府領。

芝村藩預であった宝暦三年(一七五三)重税に耐えかねた十市郡の八条はちじよう(現磯城郡田原本町)内膳ないぜん村・木原きはら村・新賀しんが村・葛本くずもと村・常盤ときわ村・石原田いしはらだ村・下八釣しもやとり(現橿原市)などと共同して減免を嘆願したが取上げられず、ついに京都町奉行所に箱訴に及んだ。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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