吉江館跡(読み)よしえやかたあと

日本歴史地名大系 「吉江館跡」の解説

吉江館跡
よしえやかたあと

[現在地名]味方村吉江 中村

字中村(なかむら)にあった吉江氏の居館跡。すでに宅地化されている。高念(こうねん)寺より東方約一〇〇メートルの旧庄屋本田屋敷と通称されている所で、一辺八〇メートルほどの堀がめぐっていたといわれる(越後木場城)。上杉謙信のもとで吉江氏一族は活躍し、宗信の孫景泰は揚北(あがきた)の中条藤資の娘を娶り謙信のすすめで中条氏を継いだ。天正三年(一五七五)の上杉家軍役帳(上杉家文書)では吉江喜四郎(資堅のち信景)が、鑓六〇丁・手明一五人・鉄砲五丁・大小旗一〇本・馬上一五騎と定められている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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