日本歴史地名大系 「味方村」の解説 味方村みかたむら 京都府:綾部市味方村[現在地名]綾部市味方町由良川の右岸にあって、東は山家(やまが)郷西原(にしばら)村、北は八田(やた)郷下(しも)村・幾見(きみ)郷里(さと)村。綾部郷一二ヵ村の一。田畑反別石高其他(沼田家文書)は村境を次のごとく記している。<資料は省略されています>村の東方錫杖(しやくじよう)ヶ嶽に続く洪積台地は味方平(みかただいら)(現紫水(しすい)ヶ丘)とよぶ。寛文修正検地では高六〇三石余、天保年間(一八三〇―四四)の家数一二四(田畑反別石高其他)。当村は山家・上林(かんばやし)および八田と綾部城下を結ぶ街道筋にあたり、由良川で隔てられた城下との間は船渡で連絡されていた。 味方村あじかたむら 新潟県:西蒲原郡味方村味方村[現在地名]味方村味方中(なか)ノ口(くち)川左岸の自然堤防上の村落。北は吉江(よしえ)村、南は白根(しろね)村(西白根)に接し、西方の水田地帯を隔てて五之上(ごのかみ)村(現潟東村)に隣接する。天正五年(一五七七)の三条領闕所帳(市川浩一郎氏蔵)に、原藤介分として「本ふ見出共ニ」五九貫五〇文、「味潟村西東」の記載がある。元和六年(一六二〇)の三条御引渡郷村帳(幸田重寛氏蔵)には高一五六石五斗余、味潟村とある。 味方村あじかたむら 新潟県:西蒲原郡味方村面積:一四・七四平方キロ越後平野中部、信濃川分流の中(なか)ノ口(くち)川左岸に位置し、対岸は白根(しろね)市、北は黒埼(くろさき)町、西から南は潟東(かたひがし)村・月潟(つきがた)村に接する。沖積低地が大部分を占め、集落は自然堤防上に南北に連なる。中心の味方は対岸の白根市と並ぶ中ノ口川沿いの交通の要衝で、新潟市へ通じる新潟交通線の白根駅もある。西部の低湿地は第二次世界大戦後、県営圃場整備の第一号として区画整理され、乾田化された。典型的な水田単作地帯であり、一戸平均耕地面積は大きく、大型機械化農業の先進地域である。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by