吉江村(読み)よしえむら

日本歴史地名大系 「吉江村」の解説

吉江村
よしえむら

[現在地名]味方村吉江

なかくち川左岸の自然堤防上に立地。北は吉田よしだ新田、南は味方村に近接する。上杉氏配下の吉江氏の本拠地であった。永正一〇年(一五一三)八月三日の長尾為景知行宛行状(国分氏文書纂)で吉江織部佐景宗が知行を認められた「蒲原郡之内千貫文之地」は、当村を中心とした地域と考えられている。寛永五年(一六二八)三分家を創立の際、当村は吉江新田とともに溝口又十郎分(切梅家)に属した。同一三年の御知行所草高之御帳(新発田市立図書館蔵)には、小吉島組吉江村二〇四石三斗余、同村新田三五石三斗余とあり、正保二年(一六四五)の三分家の知行地再配分においても同様である(「三分家知行目録」同館蔵)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

今日のキーワード

苦肉の策

敵を欺くために、自分の身や味方を苦しめてまで行うはかりごと。また、苦しまぎれに考え出した手立て。苦肉の謀はかりごと。「苦肉の策を講じる」...

苦肉の策の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android