吉浜城跡(読み)よしはまじようあと

日本歴史地名大系 「吉浜城跡」の解説

吉浜城跡
よしはまじようあと

[現在地名]三陸町吉浜

本郷ほんごうの八幡神社のある丘の上に位置する。「仙台領古城書上」などに城主は葛西氏家臣新沼薩摩・玄蕃父子とされ、天正年間(一五七三―九二)米ヶ崎よねがさき(現陸前高田市)城主浜田安房守と遠野阿曾沼氏との合戦で討死したという(元禄一一年「気仙郡古記」など)。所伝によれば、新沼父子は日頃市ひころいち(現大船渡市)まつ館の館主新沼安芸・同内膳平綱らと親族で、浜田安房守麾下の一族とされる。本丸跡は国道四五号から南面に延びた丘にあり、国道により切断された形となっている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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