朝日日本歴史人物事典 「吉田秀長」の解説
吉田秀長
生年:元禄16(1703)
江戸中期の幕府天文方吉田家の初代。佐々木文次郎長秀と称していたが,のち秀長と改め,さらに安永9(1780)年本姓の吉田に復し四郎三郎と改めた。宝暦暦の改暦準備で天文方が上京中に西川正休の養子要人の暦作手伝を勤めた。宝暦2(1752)年御用もないため出仕におよばずといい渡されたが,宝暦暦の欠陥が明らかになると明和1(1764)年再び召し出され天文方に任命された。同6年宝暦暦の修正案をまとめ『修正宝暦甲戌元暦』『同続録』など14巻を上呈した。この暦法は明和8年暦から用いられたが,独創性もなく定数を少々変えただけであった。
(内田正男)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報