吉田豊彦(読み)ヨシダ トヨヒコ

20世紀日本人名事典 「吉田豊彦」の解説

吉田 豊彦
ヨシダ トヨヒコ

大正・昭和期の陸軍大将



生年
明治6年12月1日(1873年)

没年
昭和26(1951)年1月10日

出生地
鹿児島県

学歴〔年〕
陸士(第5期)〔明治27年〕卒,陸軍砲兵工学校卒

経歴
砲兵少尉となり、明治32〜35年ドイツ駐在、次いで英国、米国駐在武官。日露戦争に攻城砲兵司令部副官として従軍。陸軍省副官兼陸相秘書官、44年兵器局課員兼軍務局課員、大正4年同局鉄砲課長、7年同工政課長、10年兵器局長、13年中将、造兵廠長官、昭和3年技術本部長、5年大将、6年待命、予備役。傍ら兵器行政を担当。のち満州電業会社社長、日満マグネシウム会社相談役、日本製鉄会社取締役などを歴任した。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「吉田豊彦」の解説

吉田豊彦 よしだ-とよひこ

1873-1951 明治-昭和時代の軍人,経営者
明治6年11月1日生まれ。ドイツなどに駐在後,重砲兵射撃学校長,陸軍省兵器局長,造兵廠(しょう)長官,技術本部長などを歴任,兵器行政にたずさわる。昭和5年陸軍大将。のち満州電業社長。昭和26年1月10日死去。77歳。鹿児島県出身。陸軍士官学校卒。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

今日のキーワード

プラチナキャリア

年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...

プラチナキャリアの用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android