朝日日本歴史人物事典 「名越家昌」の解説
名越家昌
生年:生年不詳
桃山・江戸初期の釜師。京都の名越善正の次男で,名を弥五郎,随越と号した。慶長19(1614)年,京都方広寺の大梵鐘を鋳造するのに当たり,兄三昌 と共に各地から参集した鋳物師たちを統率し,越中少掾,日本鋳物師棟梁を名乗ることを許された。のちに徳川幕府に召し出されて江戸に下り,江戸名越家を興した。以後江戸名越家は代々弥五郎を通称とし,幕府御用釜師として幕末まで栄え,釜作りは現在も行われている。釜の作品の確かなものはなく,日光慈眼大師堂の銅灯籠が1基残っている。京都で没した。
(原田一敏)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報