改訂新版 世界大百科事典 「名越善正」の意味・わかりやすい解説
名越善正 (なごしぜんせい)
生没年:?-1619(元和5)
安土桃山時代~江戸初期の釜師。浄祐の子で名越家の11代。通称弥七郎。織田信長の釜師。天正期(1573-92)ころ京都三条釜座の鋳物師棟梁として勢力を振るい,天下一を号した。釜の遺品は少ないが,文禄・慶長(1592-1615)ころ西村道仁とともに京釜の草創を成し,彼以後の名越家の礎を築いた。徳川家康の釜師ともいわれるが定かではない。江戸名越家の作った系図《鋳家系》によれば,名越家は釜師中最古の家系で,初代七郎左衛門は北条義時の次男とされているが信用しがたい。5代弥七郎(号弥阿弥。?-1470)が足利義政に茶の湯釜を献上して以来,専業釜師として立つ。善正のとき2派に分かれた。善正の長男三昌(?-1638)は京都名越家の初代となり,浄味と号し,代々浄味を号するので特に古浄味という。
京都方広寺の梵鐘を製作,小堀遠州,本阿弥光悦の好みの釜を作り,名手として知られた。次男家昌(?-1629)は随越と号し,徳川将軍家の釜師として江戸に下り,江戸名越家の祖となった。代々弥五郎と名のり,子孫は現代に及んでいる。
執筆者:大角 幸枝
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報