日本歴史地名大系 「向淵村」の解説
向淵村
むこうじむら
慶長郷帳では「向寺村」、元和郷帳では「むかうじ」とみえ、寛永一六年(一六三九)以降の郷帳では「向淵村」とみえる。村高九二一・六八石。慶長以降の領主は松平大隅・同善兵衛とある。「寛文朱印留」には向淵村のうち五〇〇石は松平出雲守(勝隆、上総国佐貫藩主)、同じく五〇〇石は松平伝次郎(重利、下野国皆川藩主)とあるので、村高に増加がみえる。皆川藩主松平重利は嗣子がないまま寛文五年(一六六五)に卒し、無嗣断絶となり、佐貫藩主松平重治は奏者番兼寺社奉行在職中、不正ありとして貞享元年(一六八四)領地を没収され(寛政重修諸家譜)、いずれも幕府領に編入されたものであろう。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報