室生村(読み)むろうむら

日本歴史地名大系 「室生村」の解説

室生村
むろうむら

面積:一〇七・二三平方キロ

宇陀郡中央部の大村で、北部は大和高原、南部は奥宇陀山地の各一部を占める。村境は北は山辺郡、南は吉野郡、東は曾爾そに村と三重県、西は榛原はいばら町と山辺郡に接する。北東境には茶臼ちやうす(五三五・八メートル)、東の三重県境には長坂ながさか(五八五メートル)曾爾村境に住塚すみつか(一〇〇九・四メートル)、北西境にだんノ山(六一〇・五メートル)、西の榛原町境には三郎さむろヶ岳(八七九メートル)がある。村域中央部を西から東に貫流する宇陀川に南から室生川、北から大野おおの川が流入、また北部は笠間かさま川が東流。室生寺を中心に西の室生湖から東の住塚山にかけての一帯室生赤目青山むろうあかめあおやま国定公園に含まれる。

室生村
むろうむら

[現在地名]室生村大字室生

滝谷たきだに砥取ととり両村の南方、室生川流域に位置す。室生の名義についてはミムロ(神奈備)説をはじめ、吉祥三竜穴(岩穴)説・(榁)むろう(植物地名)などがある。

「日本紀略」弘仁八年(八一七)六月条に室生山竜穴りゆうけつに祈雨の記事がみえ、承平七年(九三七)の大和国解案(金沢文庫所蔵文書)によると室生は竜神信仰の霊場として、天応元年(七八一)から承平七年まで約三〇回にわたって請雨・止雨の祈祷が行われたとある。また「三代実録」貞観九年(八六七)八月条には「生竜穴神」を正五位下に叙し、室生山寺に竜王りゆうおう寺の寺号を授けられた。

建保年間(一二一三―一九)興福寺学侶が室生寺で請雨を執行、その賞として室生庄が興福寺に寄せられ、弘長元年(一二六一)八月、室生庄内井戸田の水田一段を東大寺大仏殿灯油料田として寄進されている(百巻本東大寺文書)

室生村
むろうむら

[現在地名]池田町室生

三都みと半島の基部に位置し、中央を豊栄ほうえい川が西流して池田湾に注ぐ。近世池田郷の枝村。村高は慶長一〇年(一六〇五)検地で一一五石余(小豆島全図)、延宝七年(一六七九)の検地では一四五石余・反別一八町四反余(「延宝検地帳」池田町役場蔵)。宝暦明細帳には高一六七石余・反別二四町五反余(田七町余・畑一七町四反余)、家数九七・人数四六五、牛四〇・馬八、塩浜九反余・塩浜役一一〇俵、船数一〇(九〇―一〇石積)とある。なお延宝五年の網廻船運上積帳(足守木下家文書)によれば、いかなご網三・鰯網一。池田村との境にある小丘を城山または鉢伏山といい、池田庄地頭須佐美紀伊守基世の拠城と伝える。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報