吾平山上陵(読み)あいらのさんじようりよう

日本歴史地名大系 「吾平山上陵」の解説

吾平山上陵
あいらのさんじようりよう

古代の神話に登場するヒコホホデミノミコトの子、ウガヤフキアエズノミコト陵墓で、明治政府によって現上名かんみよう南東鵜戸うど(鵜戸窟)に治定された。「延喜式」諸陵寮では「ワヒラノ」と訓を付し、「彦波瀲武草不葺合尊。在日向国。無陵戸」と記す。「日本書紀」神代下・本文に同尊の葬地として「日向吾平山上陵」とあるだけで、ほかには記録がない。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

《「晋書」杜預伝から》竹が最初の一節を割るとあとは一気に割れるように、勢いが激しくてとどめがたいこと。「破竹の勢いで連戦連勝する」[類語]強い・強力・強大・無敵・最強・力強い・勝負強い・屈強・強豪・強...

破竹の勢いの用語解説を読む