日本歴史地名大系 「肝属郡」の解説
肝属郡
きもつきぐん
大隅半島南端部を占める。現郡域は東は太平洋、南は大隅海峡、西は鹿児島(錦江)湾に面し、北は
〔古代〕
「続日本紀」文武天皇四年(七〇〇)六月三日条によると、南九州の諸豪族が肥人らを従えて朝廷派遣の南島覓国使刑部真木らをおびやかしており、諸豪族のなかに薩末比売・衣君県らと並んで肝衝難波の名がみえる。難波の行動からみると、大和政権の南島政策に反対し使節の威嚇に及んだのは、利害の対立があったためと推測できよう。和銅六年(七一三)四月三日、「日向国肝坏」以下四郡を割いて大隅国が設置された(同書)。大隅建国当初からの郡で、それ以前は日向国に属していた。「和名抄」東急本国郡部には「支毛豆支」の訓を付す。同書によれば
新編伴姓肝属氏系譜や肝付統譜(喜入肝付家文書)、伴姓肝付氏略系図(群書類従)によれば、伴(薩摩)掾(大宰)大監兼行がはじめ鹿児島郡神食に居住したとある。この神食居住については、「三国名勝図会」には
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報