吾平町(読み)あいらちよう

日本歴史地名大系 「吾平町」の解説

吾平町
あいらちよう

面積:五九・一五平方キロ

肝属郡のほぼ中央に位置し、東から北にかけては高山(こうやま)町、西から北にかけて鹿屋(かのや)市、南から西にかけて大根占(おおねじめ)町に接する。南は肝属山地の北辺が連なり、南端に八山(はつさん)岳がそびえる。中央を北流する姶良(あいら)川に沿って沖積平野が形成され、集落は同川流路沿いと東原(ひがしばる)台地・西原(にしばる)台地外縁部周辺にある。主要地方道鹿屋―吾平―佐多(さた)線が南北に、北部を同鹿屋―高山―串良(くしら)線が東西に通り、折生野(おりおの)(高山町)―神野吾平(かみのあいら)線、一般地方道高山―吾平線、神川(かみかわ)(大根占町)―内之浦(うちのうら)線が当町の交通の主軸となっている。

遺跡の大部分は姶良川と北西端を東流する大姶良(おおあいら)川流域、水田地帯を望む台地縁辺部に立地し、南部の山岳地帯には少ない。縄文時代の遺跡では、下名の池山(しもんみようのいけやま)遺跡で早期の、上名の前木場(かんみようのまえんこば)遺跡・蓑損原(みのそんばい)遺跡・新地上(しんちのうえ)遺跡などでは前期の土器、上名の鏡原(かがんばい)遺跡・蓑損原遺跡では中期の土器、上名の四方高迫(よもたかざこ)遺跡では後期や晩期の土器、上名の立元(たちもと)遺跡・鏡原遺跡・苫野原(とまのばい)遺跡では後期の土器がおのおの出土している。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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