呂久村
ろくむら
[現在地名]巣南町呂久
中宮村の北に位置し、揖斐川(呂久川)東岸の平坦低地に立地。おもな集落は川筋が大きく湾曲して抱えており、鷺田島(郷)とも称した(新撰美濃志)。呂久の名は、美濃国神名帳の従五位上六社明神にうかがえるように「六」とも書いた。土屋氏系図に、源雅信次男土屋兵庫介成起を美濃国土屋郷六庄居住とし、子起久を永観元年(九八三)一一月二八日土屋六ノ庄居住、円融天皇のとき内裏守護を勤めたと記す。この六庄を当地とする説もある。応仁元年(一四六七)美濃国守護土岐方の斎藤氏・村山氏らが富島氏と当地一帯で戦ったが、富島氏と近江国からの援軍に敗れ、村山重綱らが討死している(仁岫語録)。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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