呂久渡(読み)ろくのわたし

日本歴史地名大系 「呂久渡」の解説

呂久渡
ろくのわたし

江戸時代中山道として整備される以前から交通の要地であった呂久には、揖斐いび川の渡場が設けられていた。呂久村集落の西に位置し、「信長記」には「六ノ渡り」とみえる。天正八年(一五八〇)一二月日の織田信忠掟書によれば、往還のため渡船業を命じ、代りに門並諸役を免除し、伊勢桑名との往還船、根尾ねお谷からの材木船は当渡しに着岸するよう命じた。同一〇年七月日には織田信孝も同内容の掟書を出している。同一二年三月二二日には羽柴秀吉が、兵粮米を給するから昼夜油断なく川渡しに励むよう申付けている(羽柴秀吉朱印状)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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