戦国時代の記録。原本37冊。権大納言(ごんだいなごん)山科(やましな)言継の日記で、記事は1527~76年(大永7~天正4)に及ぶ。山科家は内蔵寮頭(くらりょうのかみ)を世襲し、楽所(がくしょ)・御服所(ごふくしょ)の別当を兼ねていた関係で、記事は皇室経済、有職故実(ゆうそくこじつ)、服飾関係に富み、また後奈良(ごなら)・正親町(おおぎまち)両天皇の信任が厚く、供御(くご)調達のため今川氏、徳川氏、北畠(きたばたけ)氏ら戦国大名の間を周旋した記録は貴重。また彼自身副業として医薬を営み、堂上(とうじょう)(公家(くげ))のみならず庶民の間にも施薬診療したので、京都の市井、町衆(まちしゅう)の活動状況が詳細に記録され、単に朝廷・武家関係の記録のみならず、戦国期京都の町の自治の実相、町衆による自衛・自検断(じけんだん)の実態が活写され、戦国期屈指の重要史料である。数種の刊本がある。
[今谷 明]
『今谷明著『言継卿記』(1980・そしえて)』
戦国時代の日記。筆者は権大納言山科言継で,途中欠失を含むが,1527-76年(大永7-天正4)にわたる。原本37冊が残存し,大部分が東大史料編纂所蔵。山科家は中世以来内蔵寮頭を兼ね,楽所奉行,御服所別当をも務めたので,朝廷財政,有職故実,装束,雅楽,芸能等の記事が多い。日記の前半部は,一向一揆や天文法華の乱で畿内の政治情勢が極度に混乱した反面,京都や堺を中心に町衆の自治が発展した時期であり,言継自身が戦国武将に対する町の自衛や祇園会の舞楽の伝授,医薬の投与など町運営に進んで協力しており筆致は生彩に富む。また禁裏経済の窮迫のため言継は今川,北畠,織田,徳川等戦国大名へ献金を募りに旅行しており,紀行文としての価値も高い。後半は三好長慶,織田信長等群雄の上洛を中心に幕府滅亡,統一政権成立前後の記事を載せる。戦国期畿内の状況をうかがう最重要資料として,続群書類従完成会より紙背文書とともに刊行中。
執筆者:今谷 明
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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戦国期の公卿山科言継の日記。1527~76年(大永7~天正4)の日次記(ひなみき)(途中欠失)。朝廷への御服の調進,衣紋道(えもんどう)・有職故実・医薬・音楽・文芸や,畿内の政治情勢・織田信長・京都町衆などの記事がみられる。自筆原本は76年のみ菊亭家蔵で京都大学が保管,残りは東京大学史料編纂所蔵。「史料纂集」所収。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
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