本巣郡
もとすぐん
面積:四〇八・七〇平方キロ
穂積町・巣南町・北方町・真正町・糸貫町・本巣町・根尾村
県の西部に位置し、南北に細長く、東西に短い。東は武儀郡板取村、山県郡美山町・伊自良村、岐阜市、西は揖斐郡藤橋村・久瀬村・谷汲村・大野町、安八郡神戸町、大垣市、北は福井県大野郡和泉村・大野市、南は安八郡墨俣町、羽島郡柳津町。北部は越美山地が続き、山中に発する根尾東谷川と根尾西谷川が合流して根尾川となり南流し、本巣町山口で平野に出る。南部は根尾川流域左岸で、同川が形成した扇状地平野に立地し濃尾平野の北西部に位置する。平野部のうち北部は根尾川の伏流地帯で用水地帯、南部は揖斐川と長良川に挟まれた低湿な輪中地域。なお現郡域は近世までの本巣郡のほか、席田郡の全域と大野郡の一部を含む。郡名は大宝二年(七〇二)の御野国栗栖太里戸籍(正倉院文書)に「本簀」、藤原宮跡出土木簡に「三野国本□□」、平城宮跡出土木簡に「和銅四年本須郡」とある。「和名抄」では「本巣」を使い、訓は東急本国郡部に「毛止須」とあり、異訓はない。中世以降ほぼ本巣が使用された。
〔原始・古代〕
北部の根尾村能郷・本巣町文殊から縄文土器が発見され、真正町宗慶に宗慶大塚古墳、文殊と糸貫町の上保境の船木山丘陵周辺に古墳時代の群集墳がある。古代の郡域は根尾川の二筋の旧流路、東は糸貫川東の古根尾川、西は犀川筋に挟まれた地域であったと推定される。和銅八年(七一五)当郡の中央部東域(糸貫川東)を割いて席田郡が設置された(「続日本紀」霊亀元年七月二七日条)。同郡は根尾川の氾濫による荒廃地復旧のため渡来人を移して建郡したものとされ、糸貫町郡府に郡衙が置かれた。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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