和井内村(読み)わいないむら

日本歴史地名大系 「和井内村」の解説

和井内村
わいないむら

[現在地名]新里村和井内

刈屋かりや川の上流域、刈屋村の北に位置。全村山に包まれ、わずかにその中央を北から南に刈屋川が流れる。とくに西方の村境にはさかいかみ岳、上松かみまつ(一二四九メートル)害鷹がいたか森などの高山が続く。中世、田鎖氏の一族和井内氏によって開発されたといい、和井内館跡が残る。高昌こうしよう院の由来書によれば和井内氏は刈屋氏の祖の第三子を祖とする。和井内氏の譜(参考諸家系図)によれば和井内覚右衛門は盛岡藩初代藩主南部信直から二〇〇石を与えられており、元和二年(一六一六)には二代藩主利直から当地に一七三石余、根市ねいぢ(現宮古市)に二六石余を与えられている。覚右衛門の子光吉は三代藩主重直のとき故あって禄を没収されるが、四代藩主重信によって寛文五年(一六六五)当地に五〇石を受けている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

今日のキーワード

苦肉の策

敵を欺くために、自分の身や味方を苦しめてまで行うはかりごと。また、苦しまぎれに考え出した手立て。苦肉の謀はかりごと。「苦肉の策を講じる」...

苦肉の策の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android