和合堰(読み)わごうせき

日本歴史地名大系 「和合堰」の解説

和合堰
わごうせき

元禄元年(一六八八)鈴木太右衛門・菅井新兵衛らが送橋(おくりはし)川の古真木(ふるまき)村地内に揚口を設け、和合原まで四キロに及ぶ堰路を完成した。天保八年(一八三七)堰守菅井喜兵衛らは堰路の整備拡張を左沢(あてらざわ)役所(現大江町)に願出て、同一一年許可、竣工している。元禄から天保年間に至る史料は乏しく、堰開発の詳細は明らかにできないが、この堰による水掛高は和合・大巻(おおまき)両村合せた村高五八三石余のうち二九一石余に及ぶ。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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