出典 日外アソシエーツ「事典 日本の地域ブランド・名産品」事典 日本の地域ブランド・名産品について 情報
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世界大百科事典(旧版)内の和泉木綿の言及
【和泉国】より
… 収穫された綿は実綿(みわた)のまま,あるいは繰綿(くりわた)として一部は大坂の問屋や仲買に売られたが,綿作の普及につれ農家の家内手工業として紡織が盛んになった。和泉木綿と呼ばれ,広くは河内木綿の中に含まれたが,1786年(天明6)の江戸商人の見積りでは河内の10万反に対し,和泉は20万反であったという。主として堺,岸和田の問屋が扱ったが,19世紀の初めごろから大坂商人の進出が激しく,やがて大坂商業資本に吸収されていった。…
【大阪[府]】より
…久米田池,光明池で代表されるように,この地方は南河内地方とともに溜池卓越地で,江戸期から明治前期にかけて綿作地帯として知られていた。この和泉木綿を基盤として,堺の段通・カーペット製造業,染色業,泉大津の羊毛工業,泉佐野のタオル業,全域に分布する綿糸綿織物業など,繊維工業地帯が明治以後発達し,今日に及んでいる。第2次大戦直後に造成が始まった堺泉北臨海埋立地は,鉄鋼と石油化学を基幹とする大企業が進出し,大阪府経済の重化学工業化への転換に大きく寄与したが,他方では大阪湾漁業の中核をなすこの地方の水産活動に,少なからず打撃を与えた。…
【泉南[市]】より
…江戸時代には多くの村が岸和田藩領となったが,街道交通の要地である信達市場(しんだちいちば)には紀州藩主が宿泊する本陣が置かれ,また市も開かれてにぎわった。近世以来綿花が栽培され,それを原料にした和泉木綿,紋羽(もんぱ)(かつて足袋底の内側などに使われた目の粗い綿布)の産地となった。第2次大戦後,太糸紡績中心の小零細な特繊紡績業が集中し,泉州繊維産地の一部を形成している。…
※「和泉木綿」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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