大阪府(読み)オオサカフ

デジタル大辞泉 「大阪府」の意味・読み・例文・類語

おおさか‐ふ〔おほさか‐〕【大阪府】

大阪

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精選版 日本国語大辞典 「大阪府」の意味・読み・例文・類語

おおさか‐ふおほさか‥【大阪府】

  1. 近畿地方の中部、大阪湾に面する府。昔の河内、和泉の二国と摂津国の東部にあたる。明治四年(一八七一)の廃藩置県によって大阪府と堺県が成立。同九年堺県は奈良県を合併、同一四年大阪府は堺県を合併、同二〇年に奈良県を分離してほぼ現在の府域となる。現在は阪神工業地帯の主要部を形成。府庁所在地は大阪市。

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日本歴史地名大系 「大阪府」の解説

大阪府

大阪府の面積は一八六六・八五平方キロで、全国の都道府県中最も狭い。しかし日本列島のほぼ中心に位置し、瀬戸内海に面するという地理上の好条件に恵まれて、早くから文化が開け、古代では摂津国の東半部と河内・和泉両国とを領域とし、奈良県の大和国、京都府の山背(山城)国、兵庫県の摂津国西半部とともに畿内を形成し、政治の中心地となった。遣隋・遣唐・遣新羅などの外交使節は、大阪港の前身である難波津から発着し、外交上の要地でもあった。中世以降は、一六世紀後半の豊臣秀吉の時代を除き、日本の政治の中心は大阪府の地域を離れるが、農業や造酒・精銅・機織を含む各種の手工業はいよいよ栄え、ことに商業の面では日本の中心的地位は揺るがず、全国の富の七分は大坂に集まるといわれた。この地域は日本経済の最先進地域として、来るべき近代化の基礎を築きつつあったといってよかろう。

自然環境

大阪府は大阪平野を中心として大阪湾に面し、北は能勢のせから京都府のおいさかへかけての山地、東は生駒・金剛の山地、南は和泉山脈に限られ、西は北方の山地を水源とする猪名いな川および神崎川下流の線をもって兵庫県との境とする地域である。この地域を潤し、産業・文化の発達を促した主要な河川には、北東部から南西流する淀川と、中央部から西流する大和川とがある。両河川はもとは大阪平野の南から北へ突出する上町うえまち台地の丘陵の北東方で合流し、大阪湾に注いでいた。一八世紀初頭に大和川の付替工事が行われ、柏原かしわら市から西流して大阪湾に流入するようになるまでは、河内の低地部には大和川の諸流が流入する大きな湖沼や湿地帯が存した。さらにさかのぼって弥生時代や縄文時代では、大阪湾の水が湿地帯に通じて、海水の混じった入海ないし入江が形成されていたのではないかと推測される。この両河が合して大阪湾に入る河口に発達するのが、大阪の地に繁栄をもたらす大きな要素となった難波津であるが、両河の流れを制御し、治水を進めることがこの地域の人々の課題であった。

遺跡にみる原始

〔旧石器時代・縄文時代〕

大阪平野にはすでに旧石器時代から人間が居住していたことが知られる。その著名な遺跡は藤井寺市の国府こうに存し、昭和三二―三三年(一九五七―五八)の調査で旧石器が発見され、その後、和泉市の大床おおとこ高槻たかつき市の郡家今城ぐんげいましろ高石たかいし市の大園おおぞの枚方ひらかた市の楠葉東くずはひがしなども調査されて旧石器が出土した。それらの旧石器は、南河内郡太子たいし町と奈良県北葛城きたかつらぎ當麻たいま町の境にある二上にじよう山のサヌカイトを用いたものが多いが、二上山の山麓地帯でサヌカイト製の旧石器の散布する地点は、大阪府と奈良県にわたって三五ヵ所に達するという。

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改訂新版 世界大百科事典 「大阪府」の意味・わかりやすい解説

大阪[府] (おおさか)

基本情報
面積=1898.47km2(全国46位) 
人口(2010)=886万5245人(全国3位) 
人口密度(2007)=4669.7人/km2(全国2位) 
市町村(2011.10)=33市9町1村 
府庁所在地=大阪市(人口=266万5314人) 
府花=サクラソウ,ウメ 
府木=イチョウ 
府鳥=モズ

近畿地方の中央に位置し,大阪湾に面する。南北に長く伸びる府域は,他府県に比べ狭小な面積であるが,人口と人口密度は,いずれも東京都に次いで全国第2位。

明治以前は河内国,和泉国と摂津国東部にあたる。幕末には摂津国に高槻藩,麻田藩,河内国に丹南藩,狭山藩,和泉国に伯太(はかた)藩,岸和田藩が置かれていたが,天領のほか,飛地,旗本領,公家領,寺社領が入りくんでいた。1868年(明治1)旧天領を支配する大阪鎮台(のち大阪裁判所,大阪府と改称),続いて和泉国を管轄する堺県,翌年摂津県(のち豊崎県と改称),河内県が置かれたが,豊崎県は兵庫県への合併ののち,西成,東成,住吉の3郡を大阪府に編入し,河内県は堺県に合併した。70年近江国三上藩が和泉国に転じて吉見藩となった。71年廃藩置県をへて摂津国の2県は大阪府に,他は堺県に合併した。堺県は76年奈良県を合併し,81年大阪府に合併された。87年奈良県を再置して現在の府域が確定した。

大阪ではワニやゾウの化石も発見され,洪積世における地形の変遷などについてもある程度復原できているが,人類の文化としては国府(こう)遺跡(藤井寺市),その他いくつかの遺跡で先土器文化の石器が出土しているにとどまる。縄文文化では,早期の押型文土器を出す神宮寺遺跡(交野市),後・晩期の屈葬人骨を出土し,また府下唯一の貝塚である日下遺跡(東大阪市),それに晩期船橋式土器の標式遺跡船橋遺跡(柏原市)などがある。

 弥生文化は北九州から瀬戸内海を東へ進んで大阪地方に伝わった。縄文文化にくらべてはるかに多数の弥生遺跡が府下各地に分布している。水稲栽培に好都合であったのであろう。瓜破(うりわり)遺跡(大阪市平野区)や安満(あま)遺跡(高槻市)など前期の集落は一般に低湿地帯に立地する。やがて中・後期には台地や丘陵上にも立地は及ぶ(高地性集落)が,畿内第Ⅴ様式の時期には再び低地に進出する。弥生期の墓制についても,勝部遺跡(豊中市),四ッ池遺跡(堺市西区),池上・曾根遺跡(和泉市)などで明らかにされた。青銅製品では銅鐸の出土がかなりの数にのぼり,東奈良遺跡(茨木市)からは6個体分以上の銅鐸溶笵(鋳型)が出土している。

 弥生時代に育った氏族集団は,その権力でやがてこの地に古墳を形成する。前期古墳は丘陵の一部などを利用した前方後円墳が多く,玉手山古墳群(柏原市)や紫金山古墳(茨木市)などは4世紀代のもの,中期には平野部に周濠をめぐらした巨大古墳が登場する。すなわち大山(だいせん)古墳(仁徳陵)を盟主墳とする百舌鳥(もず)古墳群(堺市)や誉田山(こんだやま)古墳(応神陵)を主墳とする古市(ふるいち)古墳群(羽曳野市)などがその典型で,5世紀代を中心とする。なお中期以降,副葬品に武器,武具,馬具が多くなり,また埴輪の樹立が盛んになる。やがてそれまで古墳のつくられなかった地域にまで小さな円墳が多数出現する。これが後期古墳の特徴である群集墳で,高安古墳群(八尾市),一須賀古墳群(南河内郡河南町)などをあげることができる。また同時に高井田横穴群(柏原市)のような横穴墓群もつくられた。やがて後期も末になると伝聖徳太子の墓(南河内郡太子町)のある磯長谷(しながだに)など,ごく限定されたところにのみ古墳造営は行われるようになる。これらを終末期古墳とよぶが,これもやがては火葬へと移行する。

 歴史時代では,寺院址として,聖徳太子の創建とされ,飛鳥寺とともに日本最古の寺院の一つである四天王寺(大阪市天王寺区),天平年間(729-749)の創建と伝える百済寺(枚方市)などがあり,宮殿址として7世紀中葉~8世紀末の難波宮址(大阪市中央区),それに古墳時代以降,古代日本最大の生産地として須恵器を供給し続けた一大窯址群である陶邑(すえむら)古窯址群(堺市など)がある。
和泉国 →河内国 →摂津国

府域の北部を東西に伸びる北摂山地,東部を南北に伸びる生駒山地(生駒山)と金剛山地(金剛山),南部を東西に伸びる和泉山脈があって,それぞれ京都府,奈良県,和歌山県との境界をなす。このコの字形に並ぶ三つの山地に囲まれて,淀川大和川,猪名川,大津川などが形成した沖積低地が,西の大阪湾に向かって展開する。低地と山地との間には,千里丘陵,枚方(ひらかた)丘陵,河泉丘陵とそれにつづく台地が広がり,低地とともに大阪平野を構成するが,大阪平野北西部は兵庫県に入る。気候は温暖で平地部での年平均気温は16℃前後,比較的雨の少ない瀬戸内式気候の特色がみられる。西に開いた地形のため,一般に西風が卓越し,とくに冬の季節風は強い西風となる。

大阪は古代国家形成期から近代に至る長い歴史の過程を通じて,日本の政治・経済・文化の中心的役割を演じてきた先進地である。大阪平野周辺に数多く分布する古墳の中でも最大級の前方後円墳が群集する百舌鳥(もず)古墳群と古市古墳群は,5世紀における河内の先進性を示唆する。この時期から淀川と大和川の治水事業が行われ,茨田(まんだ)堤や難波堀江の開削などが行われた。また台地では多くの灌漑施設がつくられ,平野の大規模な農地開発が進んだ。淀川を臨む上町台地北部の地は,難波京難波津が設置されて7~8世紀を中心とした古代国家の政治と経済の中枢地となり,大陸文化の門戸となった。古代に整備された官道や条里制による耕地整理の区画が現代に継承されており,大阪は古代景観が卓越するのが特色である。中世以降,摂津・河内・和泉の諸荘園における農業生産力の向上と貨幣経済の進展は,各地に市場,市座を発達させ,また淀川,大和川と瀬戸内の水運の拠点となる交通の要地に都市が形成されるが,なかでも自治都市の堺と平野郷が著名で,その環濠と町並みを今日に伝えている。また本願寺教団の勢力強化によって,石山,摂津富田(とんだ),久宝寺,八尾,富田林,貝塚などに寺内町の建設をみた。

 豊臣政権による大坂築城と城下町建設は,大坂の地を全国支配の拠点とし,摂河泉地方を大坂中心の地域秩序に編成することとなった。京街道,紀州街道の整備,高槻,岸和田の城下町建設,大坂市中の堀川開削,淀川,大和川の付替工事,新田開発が進行し,こうした新田と和泉地方の綿,大坂近郊の野菜,摂津のナタネと酒造米に代表される商品作物が普及し,先進的な農業地帯が形成された。さらに木綿,酒造,油絞り,染物,薬種などの工業生産と商品流通が在郷町において発達した。大坂三郷はかかる摂河泉地方の中心都市であると同時に,諸国の蔵米,国産物をはじめとする全国物資の集散地,各種問屋,金融業,問屋制家内工業の集積する商工業都市であり,〈天下の台所〉であった。懐徳堂,適塾,含翠堂による学問,俳諧,浄瑠璃,小説などの上方文化も隆盛をみた。

官営工場としての造幣局(1871),砲兵工厰(1870年造兵司として発足),堺紡績所(1870)の設置は,明治維新後における大阪の工業都市としての再出発の契機となった。工業化は綿紡績業を中心に展開し,1892年の大阪府は全国綿糸生産の約90%を占め,海外輸出市場を開拓して,日本の産業革命の端緒を開いた。次いで各種繊維,雑貨,造船,金属,機械,化学などの諸工業が発達したため,明治から昭和初期にかけての大阪府は,全国工業生産額の首位を独占した。この時期の工業地帯は,淀川下流地区,此花(このはな)・港・大正各区から堺に至る臨海地区,城東・東成・生野各区の大阪市東部地区,および和泉地区で,阪神工業地帯の中核をなした。

 工業集積は人口増加を招き,都市化を促進した。大阪府には東海道本線および新幹線,関西本線,片町線,東西線,阪和線,大阪環状線などのJR線が通じるが,府下における都市形成を具体的に導いたのは,明治・大正期に全国に先がけて発達した私鉄網の存在であった。1877年の京都~神戸間の官営鉄道に続いて,85年日本最初の私鉄阪堺鉄道(現,南海電気鉄道)が難波~大和川間に開通し,3年後には堺に達した。98年高野鉄道(現,南海高野線),1903年南海本線,05年阪神本線(阪神電気鉄道),10年箕面有馬電気軌道(現,阪急電鉄)および京阪電気鉄道,14年大阪電気軌道(現,近畿日本鉄道)が開業し,昭和初めまでには現在の私鉄網の基本型が成立した。これらの私鉄は,住宅地,遊園地,運動場などの多角的な沿線開発に力を注ぎ,工場もその沿線に進出したため,ベッドタウンや工業都市などが急成長し,大阪近郊農村の景観を変貌させた。大阪市も市街地が広がり,市域を合併により拡張している。人口も大阪市を中心に急増をとげ,1920年の府下人口258万人(うち大阪市125万人)は,40年には479万人(うち大阪市325万人)となった。都市化は農業生産の内容を変化させ,野菜,花木植木,果樹などの生産が府下全域に広がり,都市近郊型農業が卓越し,また水稲反当収量においても全国の高位を占め,50年代までは狭い経営面積から高収益をあげる集約的農業の特色を示した。

第2次世界大戦は大阪府の人口280万人(1945),大阪市のそれも110万人に激減させるという打撃を与えた。しかし経済の復興期から高度成長期にかけて,大阪は神戸,京都と一体化した多核的大都市圏を構成し,近畿地方を主とする西日本の中核地を形成するに至った。まず堺泉北地区を中心とする大規模な臨海埋立地に造成された鉄鋼・石油化学コンビナートは,鉄鋼,金属,非鉄金属,一般機械,電気機械,化学といった重化学工業部門の比率を高め,産業構造の高度化の原動力となった。工業地区は中核の大阪市から淀川両岸の低地,東大阪市,大阪湾岸,さらに周辺丘陵地の工業団地へと拡散する傾向が顕著である。しかし最近の大阪府の工業生産額は,卸売販売額,貿易額など他の経済諸指標とともに,全国比が相対的に低下している。次に人口動向は,大阪市への人口集中から近郊地区への分散へと明確な変化をみせた。すなわち大阪市人口は1950年の195万人から64年の321万人へと急増したが,以後は減少傾向を示し,95年には260万人となった。これに対して大阪府人口は,1950年の385万人から60年550万人,70年762万人,95年880万人と増加し,衛星都市群の人口のウェイトが高まっている。いわゆる人口のドーナツ化現象であるが,その増加率は最近鈍化している。人口集中地区はJR,私鉄の路線に沿って拡大したが,面積的には大阪北部と大阪東部地区の膨張が目だち,京都・神戸都市圏の市街地と連続した。こうした市街化は,千里・泉北・香里各ニュータウン,くずは・南茨木両団地など,大規模な公私の住宅団地開発によるところが大きい。また1933年の御堂筋線に始まる大阪市営地下鉄や私鉄の延伸と新設,名神,名阪,中国などの高速道路,中央環状,外環状などの一般道路といった新しい交通体系の整備に伴って,大学,流通センター,緑地公園,レジャー施設,企業団地など,各種都市機能の分散立地が進行した。したがって60年代以降は農地転用と脱農化が急テンポで進み,農業生産は大幅に後退し,景観的にも近郊農村は住宅化によって市街の中に吸収されたものが多い。しかしながら,都市近郊地区におけるタマネギ,ナス,トマト,キャベツの野菜類,周辺山地の山麓や丘陵における植木,花木,切花の園芸,ブドウ,ミカン,栗の果樹栽培など,特色ある都市近郊型の農業が行われ,また酪農,養豚,養鶏の畜産業もみられる。大阪府農産物生産額の1位を占めるのは野菜類である。

 大阪市は1990年の通勤通学による流入人口147万人(うち府外から53万人)を数え,京阪神大都市圏の中枢地である。大阪の都市圏は府域をこえて広がり,京都と神戸の都市圏と複合するが,府下に限定した都市圏は,大阪市の中核地域,大阪平野の衛星都市群における高密度な市街化地域,その外側の山地という三つの地帯からなる同心円の構造を示している。周辺山地は,金剛生駒国定公園,明治の森箕面(みのお)国定公園に広く編入されている。

大阪府は,その自然的・経済的条件と歴史的風土から,大阪市,北大阪,東大阪,南河内,和泉の五つの地域に大別される。

(1)大阪府の中心をなす大阪市は,難波京,石山本願寺寺内町と豊臣氏城下町の歴史をもつ旧大坂三郷とその周辺地を市域とし,その地形は,上町台地と淀川,大和川が形成した沖積平野,および臨海埋立地で構成される。近畿地方の中核をなす京阪神大都市圏の中心都市で,西日本の経済と交通のかなめをなす。また大阪市は阪神工業地帯の中核をなし,日本の産業革命をリードした歴史をもつが,地盤沈下,公害などによって工場が市外へ遠心移動し,跡地がマンションに転用されるといった変化をみせ,1955年以降府下の工業生産に占める地位は低下傾向にある。したがって,このような,産業を活性化することを含めて,大阪の再生と発展のためのプランが,各種立案され実施されている。

(2)北大阪地方は,旧三島郡・豊能郡の範囲で,淀川北岸低地,千里丘陵,豊中台地,猪名川東岸低地の南部と,北部の北摂山地から構成される。高槻城下町,富田寺内町,茨木,池田の在郷町が,この地方の歴史的な地域中心で,それらを相互に結んで東西に西国街道が走り,また南北方向に能勢街道,亀岡街道,高槻街道が通じて,大坂に連絡していた。東海道本線,阪急電鉄京都線・宝塚線・千里線に沿って,大正期から集団住宅や工場が進出し,豊中,池田,吹田,高槻が昭和10年代に相ついで市制を施行した。しかし,都市化が急激に進んだのは1960年前後からである。とくに61年に着手された千里ニュータウンと,その東隣地区で70年開催の万国博覧会は,北大阪急行電鉄,名神高速道路,中国自動車道,新御堂筋,中央環状線,阪神高速道路,大阪国際空港整備など,新しい交通施設の建設と整備が相前後して進んだため,この地域の爆発的な都市化と人口増加を促進した。低地,台地,丘陵から北摂山地山麓にかけて,大規模な住宅開発が進み,大阪市内から移転した大学,学園が多い。茨木市,高槻市では,食品,電機を主とした工場と倉庫,運輸の流通施設の進出をみた。したがって,池田市細河地区の植木栽培を例外として,酒造米,野菜,杞柳(きりゆう)(コリヤナギ)など特色ある農業生産は,ほとんど姿を消した。市街地拡大は最近飽和傾向をみせ,駅前地区の再開発やマンション建設が目だつ。北摂山地では薪炭,寒天生産がほぼ姿を消し,ゴルフ場,キャンプ場,公園,観光栗園などとして利用されている。

(3)東大阪地方は,旧北河内郡・中河内郡の範囲で,淀川・大和川低地,枚方丘陵,交野(かたの)台地と生駒山地の地形で構成される。枚方,守口の宿場町,久宝寺,八尾の寺内町が,この地方の歴史的な地域中心である。生駒山麓を南下する東高野街道のほか,京街道,清滝街道,古堤街道,奈良街道と,寝屋川,古川,平野川の水路によって大坂に連絡していた交通系統に代わって,明治中期に関西本線,片町線,1914年から30年にかけて京阪電鉄京阪線,近鉄奈良線・大阪線が開通した。かつて盛んであった河内木綿を基盤とした守口のメリヤス,布施(現,東大阪市)の撚糸,漁網,生駒山麓の水車利用から始まった枚岡(現,東大阪市)の伸線業,あるいは八尾のブラシ工業,高井田(現,東大阪市)の鋳物業など,江戸期または明治期からの地場産業に加えて,守口市や布施では戦前に工場立地が進んだ。また敗戦直後から守口と門真に電機産業が集積し,次いで枚方に各種企業団地,東大阪に流通センター,八尾に金属工業などが進出した。1957年着手の香里団地(枚方市)は,この地域における大規模住宅団地造成の契機となり,その後宅地開発が続出した。門真,寝屋川の南部や大東市は,旧深野池,新開池などれんこん栽培の沼田が広がる低湿地のため,宅地化が遅れたが,ここも70年代前半までに市街地となった。こうした低地の宅地造成のための土砂採取によって,生駒山地の北部は自然破壊を招いたが,山頂に遊園地などがある観光地となり,山麓には,柏原市にブドウ園,八尾市神立(こうだち)に花木栽培がみられる。

(4)南河内地方は,鍵形につながる金剛山地と和泉山脈とに囲まれた石川流域と大和川南岸の地で,羽曳野丘陵と台地が広がる。もとの南河内郡の範囲で,富田林,大ヶ塚の寺内町と三日市の宿場町がこの地方の歴史的な地域中心である。江戸時代は石川,平野川の舟運と東高野街道,奈良街道で大坂と,長尾街道,竹内街道,西高野街道で堺と結ばれていた。鉄道交通は1898年の河陽鉄道(現,近鉄)と高野鉄道が最初で,1923年までに現在の近鉄南大阪線・長野線・道明寺線,南海電鉄高野線の路線が完成したが,大阪市とともに堺市との関係が深い土地である。1955年ころから羽曳野丘陵などでは住宅開発が多くなり,金剛団地,狭山ニュータウンなどの集団住宅が造成され,また大学やPL教団が進出した。1950年市制施行の富田林市につづいて,66年までに河内長野,松原,羽曳野,藤井寺が市に昇格,宅地開発は現在も進行中である。工業生産としては,河内長野の鋳物業,つまようじ,富田林付近の竹すだれ,松原の金網業などの地場産業があり,堺市の旧美原町には木材工業団地が立地する。この地方は狭山池に代表されるように日本有数の溜池灌漑卓越地で,農地転用が進む中でハウス園芸による野菜生産が盛んであり,山地,丘陵ではブドウ,ミカンの果樹栽培が行われる。石川流域には古市古墳群,河内飛鳥古墳群など史跡・文化財,金剛生駒国定公園に入る二上山,葛城山,金剛山など観光リゾート施設が多い。

(5)和泉地方は旧和泉国で,和泉山脈とその前山,泉北丘陵,和泉台地,海岸低地の地形で構成される。堺,泉佐野の港町,岸和田城下町,貝塚寺内町,信達市場町(現,泉南市)が,この地方の歴史的な地域中心であるが,なかでも堺は過去・現在を通じての和泉全域の中心都市である。かつては熊野街道と紀州街道がおもな交通路であったが,現在は1903年全線開通の南海電鉄本線と30年完成のJR阪和線が主たる交通機関で,大阪市の難波と天王寺に結ばれている。久米田池,光明池で代表されるように,この地方は南河内地方とともに溜池卓越地で,江戸期から明治前期にかけて綿作地帯として知られていた。この和泉木綿を基盤として,堺の段通・カーペット製造業,染色業,泉大津の羊毛工業,泉佐野のタオル業,全域に分布する綿糸綿織物業など,繊維工業地帯が明治以後発達し,今日に及んでいる。第2次大戦直後に造成が始まった堺泉北臨海埋立地は,鉄鋼と石油化学を基幹とする大企業が進出し,大阪府経済の重化学工業化への転換に大きく寄与したが,他方では大阪湾漁業の中核をなすこの地方の水産活動に,少なからず打撃を与えた。集団住宅は堺市では1950年ころから進展し,65年着工の泉北ニュータウンは,人口19万人の都市づくりが完了した。泉佐野市の沖合に建設された関西国際空港の開業(1994)前後から,高速道路・りんくうタウンなど関連事業が進行し,宅地開発が活発になっている。したがって,かつて泉佐野,泉南を中心に生産されて全国1位を誇った泉州タマネギは,作付面積を最近急減させ,また堺付近のミツバ,パセリなどの集約的な軟弱野菜生産も大幅に後退した。和泉山脈の前山や丘陵地では,ミカン生産と畜産業がみられる。
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事典 日本の地域ブランド・名産品 「大阪府」の解説

大阪府

近畿地方西部に位置する府。南北に長く湾曲する地形で、その大半は摂津平野・河内平野・和泉平野のいわゆる大阪平野で占められる。大阪湾に向かってひらけた西側以外は、三方を山地に囲まれている。気候は、比較的温暖。重化学工業が盛ん。府花は、うめ・さくらそう。府木は、いちう。府鳥は、もず。

[大阪府のブランド・名産品]
和泉櫛 | 和泉蜻蛉玉 | 和泉木綿 | 漆刷毛 | えびいも | 大阪いちじく | 大阪えだまめ | 大阪唐木指物 | 大阪唐木銘木仏壇 | 大阪きゅうり | 大阪こまつな | 大阪金剛簾 | 大阪三味線 | 大阪しろな | 大阪泉州桐箪笥 | 大阪たけのこ | 大阪銅器 | 大阪なす | 大阪浪華錫器 | 大阪塗仏壇 | 大阪ねぎ | 大阪張り子 | 大阪ふき | 大阪仏壇 | 大阪ぶどう | 大阪みかん | 大阪みつば | 大阪もも | 大阪欄間 | 金時人参 | 毛馬胡瓜 | 勝間南瓜 | 堺五月鯉幟 | 堺線香 | 堺手織緞通 | 堺刃物,堺打刃物 | しゅんぎく | 吹田慈姑 | 泉州黄玉葱 | 泉州きゃべつ | 泉州さといも | 泉州タオル | 泉州たまねぎ | 泉州水なす | 高山牛蒡 | 高山真菜 | 田辺大根 | 玉造黒門越瓜 | 天王寺蕪 | 鳥飼茄子 | 蜻蛉玉 | なにわ竹工芸品 | なにわ刷毛 | なにわベッ甲 | 浪華本染めゆかた | 能勢ぐり | 服部越瓜 | 紅ずいき | 三島独活 | 芽紫蘇 | 若ごぼう

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「大阪府」の意味・わかりやすい解説

大阪〔府〕
おおさか

面積 1905.32km2
人口 883万7685(2020)。
年降水量 1279.0mm(大阪市)。
年平均気温 16.9℃(大阪市)。
府庁所在地 大阪市
府木 イチョウ
府花 ウメサクラソウ
府鳥 モズ

近畿地方中部,大阪湾に臨む府。明治4 (1871) 年府制。府域の大部分は大阪平野で,北,東,南の三方をそれぞれ北摂山地金剛山地生駒山地和泉山脈に囲まれ,西は大阪湾に面する。水陸交通の要地で,開発は古く,先史時代から人が居住。当時の石器が藤井寺市の国府遺跡や東大阪市の日下貝塚などから発見されたのをはじめ,丘陵や台地には多くの古墳群や遺跡がある。古代,中世,近世を通じて飛鳥,奈良,京都の門戸として難波,大坂 (小坂) の地名で発展。明治以降,大阪市が近代商工業都市となるに従い,周辺部も工業化が進んだ。大正期までは紡績を中心とする軽工業が主であったが,第2次世界大戦後,特に埋め立てによる堺泉北臨海工業地域などが造成されてから重化学工業も盛んになった (→阪神工業地帯 ) 。それに伴い都市化も著しく,多くの衛星都市が形成され,農業地域は激減した。農業の規模は小さく,兼業化,集約化が極度に進んでいる。かつて盛んであったイワシ漁を主とする沿岸漁業も,埋立地の造成や工業化に伴う海水汚濁の影響で衰退。商工業は東京都とともに日本の中枢部をなす。北部に明治の森箕面国定公園があり,東部・南部の奈良県,和歌山県境一帯は金剛生駒紀泉国定公園に属する。神戸市に連なる大阪湾岸地区では 1990年代初めより大阪湾ベイエリア開発が進められ,1994年には関西国際空港が開港した。

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「大阪府」の解説

大阪府
おおさかふ

近畿地方の中西部に位置し,大阪湾に面する府。旧河内・和泉両国と摂津国の東部にあたる。幕末には摂津国に高槻藩・麻田藩,河内国に丹南藩・狭山藩,和泉国に岸和田藩・伯太(はかた)藩がおかれ,幕領のほか21藩の飛地領,公家領,寺社領があった。1868年(明治元)1月旧幕領を支配するため大阪鎮台がおかれ,まもなく大阪裁判所と改称。さらに同年5月大阪府と改称,6月管下の和泉国に堺県,69年摂津国に摂津県,河内国に河内県が新設されて大阪府の管轄は大阪市街地だけとなった。同年河内県は堺県に合併。70年近江国三上藩が和泉国に移り吉見藩となる。71年廃藩置県により旧藩は県となり,同年11月豊島(てしま)郡以東の摂津7郡を管轄する大阪府と,河内・和泉両国を管轄する堺県に整理統合された。堺県は76年奈良県を合併し,81年大阪府に合併された。87年奈良県を再置して現府域が確定した。

出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報

世界大百科事典(旧版)内の大阪府の言及

【公害】より

…公害の語源は明らかではないが,日本の法制上登場するのは,明治10年代の大阪府の大気汚染規制のための府令(のちの条例)や同20年代の〈河川法〉以降である。この場合の公害は〈公益〉の反対概念であったが,やがて大正期に入ると,地方条例の中で,今日と同じように,大気汚染,水汚染,騒音,振動,悪臭などによる公衆衛生への害悪を総称して公害と呼んでいる。…

※「大阪府」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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