和爾村(読み)わにむら

日本歴史地名大系 「和爾村」の解説

和爾村
わにむら

[現在地名]天理市和爾町

かみ街道のなら村東方丘陵に位置する。「日本書紀」神武天皇即位前紀に「和珥坂下わにさかもと」、同書崇神天皇一〇年九月条に「和珥坂上」「和珥武坂上わにたけすきのさかのへ」(「古事記」崇神・応神天皇段には丸邇坂わにさか丸邇佐わにさ)、同書推古天皇二一年一一月条に「和珥池」(「古事記」仁徳天皇段には丸邇池)地名がみえ、記紀は丸邇・和珥と区別表記する。

延久二年(一〇七〇)の興福寺雑役免帳には「和邇庄」、承久三年(一二二一)の沙弥念西水田売券(東大寺文書)には「字石塔、在添上郡和爾郷内」とあり、三箇院家抄(内閣文庫蔵大乗院文書)には「中庄東和邇」と記す。永仁六年(一二九八)の西大寺田園目録には「丸部わにべ里」(添下郡右京北二条二里)の地名が認められ、「姓氏録」には「櫟井臣、和安わに部同祖」とある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報