和田妙子(読み)ワダ タエコ

新撰 芸能人物事典 明治~平成 「和田妙子」の解説

和田 妙子
ワダ タエコ


職業
ダンサー

別名
芸名=マヌエラ

生年月日
明治44年

出生地
旧朝鮮・大田

出身地
福岡県 北九州市

経歴
幼い頃からダンサーに憧れ、父の反対を押し切り上京。昭和3年東京松竹楽劇部に第1期生として入り、16歳で初舞台を踏む。この時、“水の江たき子”という芸名を与えられるが、“ひらがなが気にくわなかったから”と同期生の“東路道代”と交換、この同期生は間もなくターキーの愛称で知られる大スターとなった。17歳で結婚、一女をもうけるが夫と死別。のちジャズ歌手のリッキー宮川と結婚するが、破局。13年上海に渡り、国籍不明の人気ダンサー・マヌエラとして一世を風靡した。太平洋戦争が始まると連合国側のスパイを疑われて憲兵隊に拘束され、戦後は日本のスパイとして米国の陸軍情報部から取り調べを受けた。帰国後は実業家の和田忠七と再婚し、喫茶店やクラブを経営。27年東京・内幸町にクラブ・マヌエラを開き、前田憲男やジョージ川口、マーサ三宅といったジャズメンが巣立った。38年摩耶を開店。自伝に「上海ラプソディー」がある。

没年月日
平成19年 5月18日 (2007年)

家族
夫=和田 忠七(実業家),姪=内藤 洋子(女優)

出典 日外アソシエーツ「新撰 芸能人物事典 明治~平成」(2010年刊)新撰 芸能人物事典 明治~平成について 情報

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