東京都区部の最南端にある区。多摩川(下流部は六郷川(ろくごうがわ)という)を挟んで神奈川県川崎市に接する。1947年(昭和22)大森区と蒲田(かまた)区が合併し、それぞれの1字を採用して新区名とした。面積61.86平方キロメートル、人口74万8081(2020)。
[沢田 清]
ほぼJR東海道本線、池上本門寺(いけがみほんもんじ)、多摩川に架かる丸子(まるこ)橋を結ぶ線から以北は山手(やまのて)台地、以南が沖積低地である。山手台地には多くの侵食谷がみられ、とくに馬込(まごめ)は九十九谷(つくもだに)とよばれている。台地には洗足池(せんぞくいけ)、本門寺の松濤(しょうとう)園のように湧水(ゆうすい)があり、公園、緑地として利用されている。台地に呑(のみ)川が流れるが、都市化のため遊水地の役を果たした農地は消失し、よく氾濫(はんらん)を引き起こしていた。低地は多摩川の三角州であるが、平和島、昭和島、京浜島、城南島、東京国際空港(羽田空港)の大部分、大井埠頭(ふとう)のように人工の埋立地造成が著しく、海岸線は大きく後退している。
[沢田 清]
JR京浜東北線のほか、私鉄の京浜急行電鉄本線・空港線、東急電鉄池上線・目黒線・東急多摩川線・東横線・大井町線、都営地下鉄浅草線および東京モノレールが通じている。2000年(平成12)に目黒駅(品川区)まで全線開通した営団地下鉄(現、東京地下鉄)南北線と東急目黒線は相互直通運転を行うようになった。道路では第一京浜(国道15号)、第二京浜(国道1号)、中原街道、産業道路(国道131号)、国道357号、環七・環八の各道路、および首都高速道路が通じている。さらに東京国際空港に加え、平和島には京浜トラックターミナル、東京流通センターがあって、種々の交通施設がみられる。
[沢田 清]
江戸時代、大森は幕府直轄の浅草海苔(のり)の主産地であり、台地や低地は江戸へ食料を供給する農村地帯であった。しかし、大森貝塚(国指定史跡、北に接する品川区の域内)や、多摩川台公園の亀甲山古墳(かめのこやまこふん)(国指定史跡)でわかるように、古くから居住がみられた。池上本門寺は、この地の豪族池上宗仲(むねなか)(生没年不詳)が鎌倉時代に日蓮(にちれん)を招いて建立したもので、文政(ぶんせい)年間(1818~1830)に祀(まつ)られた羽田の穴守稲荷(あなもりいなり)とともに江戸町民の信仰を集めた。この地は明治以降も東京の農漁業や休養、信仰の地として発展していた。しかし、関東大震災を機として都市化が進展した。
[沢田 清]
とくに田園調布(でんえんちょうふ)(1918年開発)、山王(さんのう)、千束(せんぞく)、久が原(くがはら)などは高燥・温暖な高級住宅地として発展をみた。一方、低地は品川区とともに京浜工業地帯の重要な一部をなす城南工業地区を形成、とくに機械器具、電気機器など各種の機械工業に特色を有し、関連・部品生産の中小工業の企業集団を形成している。品川区に隣接する埋立地の一部には都中央卸売市場の大田市場が開設され、東京港野鳥公園の自然生態園などの施設とともに新しい景観をつくりだしている。本門寺、洗足池、穴守稲荷神社、多摩川台公園、田園調布せせらぎ公園、天然温泉平和島など観光名所が多く、六郷神社の子供流鏑馬(やぶさめ)(都指定無形民俗文化財)、本門寺の御会式(おえしき)は古くからの行事。
[沢田 清]
『『大田区の歩み』(1970・大田区)』▽『『大田区史』上中下(1985~1996・大田区)』
島根県中央部、日本海沿岸の市。1954年(昭和29)大田、久手(くて)両町と長久(ながひさ)、鳥井、波根東(はねひがし)、川合、久利(くり)、静間の6村が合併して市制施行。同年佐比売(さひめ)、朝山、富山(とみやま)、山口の4村を、1956年大森町と五十猛(いそたけ)、大屋の2村と、祖式(そじき)村の一部を、1957年川本町大代(おおしろ)地区の一部を編入。2005年(平成17)温泉津(ゆのつ)、仁摩(にま)の2町を合併。市名は『和名抄(わみょうしょう)』の邑陀郷(おおだごう)に由来する。市街地は三瓶(さんべ)川下流部の小規模段丘と沖積地に立地。海岸部に久手砂丘、波根干拓地がある。山陰道、出雲(いずも)街道、備後(びんご)街道の交点の市場町として発達し、近世に牛馬市の成立、彼岸市の発生が伝えられる。また、仁摩町は中世の仁満郷の地であった。明治20年代に国道の開通、1915年(大正4)山陰本線開通、1966年新国道9号の完成などで市街は北へ拡大した。国道375号は広島市へ通じる陰陽連絡の最短路線。9号に沿って山陰自動車道(一部)が通る。14世紀初め大内氏の発見した銀山(大森銀山)の採掘をめぐって、江戸時代には天領となった。主産業は米作、酪農、沿岸漁業などで、石見瓦(いわみがわら)、ワカメを特産する。波根、和江(わえ)、五十猛、仁万、温泉津などの漁港がある。大山隠岐(だいせんおき)国立公園の三瓶山、三瓶(志学)温泉などの温泉群、石見銀山遺跡、大森代官所跡、静間海岸の静窟(しずがいわや)やハマナス自生西限地、鳴り砂で知られる琴ヶ浜、温泉津温泉など、文化財や観光資源が多い。大森町と温泉津町の2か所に重要伝統的建造物群保存地区がある。大田の彼岸市は農機具の売買や苗木市でにぎわう。物部神社(もののべじんじゃ)は石見一宮(いちのみや)で正月には奉射(ぶしゃ)祭がある。2007年(平成19)には大森町の銀鉱山跡と鉱山町をはじめ、銀山と二つの港を結ぶ街道(石見銀山街道)、銀・銀鉱石の積み出しに利用された二つの港とその集落などの旧跡が、石見銀山遺跡とその文化的景観の名称で、ユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録された。面積435.34平方キロメートル、人口3万2846(2020)。
[石橋忠男]
『『大田市誌』(1968・大田市)』▽『『大田市三十年誌』(1983・大田市)』▽『『写真でみる大田市のあゆみ』(2003・大田市)』
大分県北東部、西国東(にしくにさき)郡にあった旧村名(大田村(むら))。現在は杵築市(きつきし)の北東部にあたる地域。旧大田村は、1954年(昭和29)朝田(あさだ)村、田原(たわら)村が合併して改称。2005年(平成17)杵築市に合併。国東半島のほぼ中央部に位置し、半島首部の地塁と両子(ふたご)火山南側放射山稜(さんりょう)に囲まれた盆地と、2条の放射谷の米麦作が主産業。ほかに肉用牛、シイタケ、クリも知られている。文化財が多く沓掛(くつかけ)の田原家五重塔、小野の財前家宝塔(ざいぜんけほうとう)、石丸(いしまる)の宝塔はいずれも鎌倉時代から南北朝時代の石造品で、国指定重要文化財。また白鬚神社(しらひげじんじゃ)(白鬚田原神社)のどぶろく祭は県選択無形民俗文化財。
[兼子俊一]
『酒井富蔵著『大田村誌』(1966・大田村)』
韓国(大韓民国)、忠清南道南東部に位置する広域市。面積539.83平方キロメートル、人口136万5961(2000)。5区からなる。忠清南道の都市であったが1989年に直轄市に昇格。95年地方自治制度の改革により広域市となる。行政的には忠清南道から分離したが、現在も忠清南道の道庁所在地である。京釜(けいふ)線と湖南線の分岐点で、また京釜高速道路の光州方面へ向かう路線との分岐点であり、交通の要地として発達。東、南、北部は丘陵地、西部は開かれた盆地で市街が展開している。1927年に忠清南道の道庁が公州より移されてから行政、文化、経済の中心地として発展し、西大田を中心に南西部へ工業地区が形成されている。忠南大学校がある。
[張 保 雄]
建久図田帳の八条女院領
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
島根県中部,日本海沿岸にある市。2005年10月旧大田市と仁摩(にま)町,温泉津(ゆのつ)町が合体して成立した。人口3万7996(2010)。
大田市中東部の旧市。1954年大田,久手(くて)2町と長久,鳥井,波根東,川合,静間,久利6村が合体,市制。56年五十猛(いそたけ),大屋2村と大森町を編入。人口3万3609(2000)。中心の大田は500年前の牛馬市,鍬市,竹市に始まり,17世紀後半の彼岸市,粕戸市から町を拡大した。近世には山陰道,雲州街道,備後街道の交通の要地として石見国東部の商業中心となり,農産物の集散地であった。中世には石見(大森)銀山で栄えた大森に中心があり,天領として銀山奉行所,のち代官所が置かれていたが,明治以後銀脈が衰え,1939年閉山した。第2次世界大戦後は沿岸の五十猛の石見鉱山でセッコウや黒鉱が産出され,また豊富な粘土層に恵まれた南西部の水上地区は,良質の石州瓦の産地として知られる。JR山陰本線が通じ,大山隠岐国立公園に含まれる三瓶(さんべ)山,三瓶温泉,大森銀山史跡を中心とした代官所跡,間歩(まぶ)(坑道)跡,五百羅漢,川合の井戸神社などがある。
執筆者:池田 善昭
大田市西部の旧町。旧邇摩(にま)郡所属。人口4911(2000)。東は旧大田市に接し,北西は日本海に面する。中心の仁万町は近世には石見銀山の積出港,物資の供給地となり,西廻航路の寄航地として発展した。町域の多くが山林で,肉用牛の飼育,シイタケ栽培などが盛ん。また仁万漁港を中心に一本釣りを主体とした沿岸漁業や養殖漁業も行われる。日本海岸には鳴り砂で知られる琴ヶ浜などがあり,海水浴や磯釣りに訪れる人も多い。山陰本線が通じ,湯迫(ゆざこ)温泉(含重曹食塩泉,29~30℃)がある。
大田市西端の旧町。旧邇摩郡所属。人口4053(2000)。北は日本海に面し,湯里川,福光川が日本海へ注ぐ。リアス海岸が発達し,中心地の温泉津は天然の良港をなし,古くは対朝鮮交通の要地で,江戸時代は山陰屈指の商港で石見銀山の積出港として栄えた。1918年に山陰本線が開通してからは港町としての機能は衰微し,現在は井田地区で産する良質のケイ砂の積出港,地方漁港となっている。福光石(凝灰岩)を使った石材業,石州瓦の生産が行われ,400年の伝統をもつ温泉津焼の特産もある。石見銀山とともににぎわってきた温泉津温泉(含セッコウ食塩泉,46~49℃)は湯治のほかに海水浴,磯釣りなども楽しめる。沖合1kmにある蛇島はウミネコの繁殖地。
執筆者:清水 康厚
韓国,忠清南道東部の都市で,韓国の六広域市の一つ(1995年広域市に指定)。忠清南道の道庁もここにある。人口146万3009(2000)。1905年の京釜鉄道開通以後,湖南線との分岐点にあたる交通の要地として商業が発達した。1927年には道庁が公州から移され,行政や教育の面でも地位が高まった。89年に直轄市に昇格,現在は広域市として5区が置かれている。朝鮮戦争によってひどく破壊されたが,戦後は軍事施設が集まり,軍事拠点にもなっている。近年,市内の大徳区に大規模な研究開発団地が建設され,官民の研究所が多数入住している。伝説的な古い歴史をもち,1920年代に大がかりに開発された郊外の儒城温泉(ラジウム泉)から鶏竜山国立公園にかけては韓国有数の観光地となっている。93年大田エキスポ(科学万博)が開催された。
執筆者:谷浦 孝雄
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
…人口6496(1995)。山間地で,町の北西部に秋吉台があり,中央部を厚東(ことう)川の支流大田川が南流する。古くから鉱山が開発され,長登(ながのぼり)鉱山は奈良の大仏を鋳造するとき,銅を献上したという伝えがある。…
…朝鮮半島中西部の地方で,朝鮮八道の一つ。韓国に属し,行政上は南北道と大田広域市に分かれ,人口は忠清北道(道庁所在地,清州)144万2191,忠清南道(道庁所在地,大田)185万5346,大田市126万8432(いずれも1995)。
[自然]
地形的にきわめて対照的な東西二つの地域に分かたれる。…
※「大田」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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