日本歴史地名大系 「喜多見村」の解説 喜多見村きたみむら 東京都:世田谷区喜多見村[現在地名]世田谷区喜多見一―九丁目・成城(せいじよう)一―九丁目・大蔵(おおくら)五丁目・宇奈根(うなね)二丁目・砧(きぬた)七―八丁目下祖師ヶ谷(しもそしがや)村の南にある。多摩郡に属する。東は大蔵村、西は岩戸(いわど)村(現狛江市)、南は多摩川が流れる。大蔵村と上・下の祖師ヶ谷村飛地の間に飛地があった。六郷(ろくごう)用水が岩戸村より入り、大蔵村へと流れる。津久井(つくい)道が大蔵村より入り、南西方向へ向かって駒井(こまい)村(現狛江市)へと抜ける。嘉元二年(一三〇四)五月一日の関東下知状(熊谷家文書)に「武蔵国木田見牛丸郷」とある。文禄三年(一五九四)の多東郡世田谷領之内喜田見郷御縄打水帳(広田家文書)が一部残る。田園簿に喜多見村とみえ、田二八〇石余・畑一二九石余、日損場と注記される。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by