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津久井 つくい

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

津久井
つくい

神奈川県北西部,相模原市中・南西部の旧町域。丹沢山地の北部に広がる。 1955年中野町,三沢村の一部と串川村,鳥屋村,青野原村,青根村の4村が合体し津久井町が成立。 2006年相模原市に編入。北東部から相模川までの谷筋は古くは相模国甲斐国を結ぶ交通の要地にあたり,鎌倉時代には相模川右岸の城山に築井城 (津久井城) が築かれ,戦国時代には小田原城の支城となって津久井一帯を治めた。地名は築井から転訛したものとされる。東端の三増峠は,永禄 12 (1569) 年に後北条氏 (→北条氏 ) と武田氏の激戦のあった地で,供養塔などが残っている。相模川や支流の道志川,串川沿いの河岸段丘上では江戸時代から養蚕が盛んとなり,中心集落の中野は絹の取引地として発展した。畜産,野菜の栽培が行なわれるが,山林,原野も広く残る。 1965年に完成した城山ダムによって津久井湖ができ,ハイキング客が多数訪れる。蛭ヶ岳への登山道が通っている。南西部は丹沢大山国定公園に属する。

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大辞林 第三版の解説

つくい【津久井】

神奈川県北西部、相模原市の地名。丹沢山地や津久井湖などがある。住宅地化が進む。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

津久井
つくい

神奈川県北西部、津久井郡にあった旧町名(津久井町(まち))。現在は、相模原(さがみはら)市の西部を占める緑(みどり)区の一地域。1955年(昭和30)中野町と串川(くしかわ)、鳥屋(とや)、青野原、青根の4村と三沢村の一部が合併して津久井町が成立。2006年(平成18)相模原市に編入。旧町域は、大部分が丹沢(たんざわ)山地、北東の一部が関東山地で、津久井湖畔や道志(どうし)川沿岸には河岸段丘が発達している。国道412号、413号が通じる。古くから相模(さがみ)と甲斐(かい)を結ぶ交通の要地をなし、鎌倉時代には三浦一族の筑井義胤(つくいよしたね)の築城による築井(津久井)城があり、三増(みませ)峠は戦国時代に武田・後北条両氏が戦った三増合戦で知られる。江戸時代に入って養蚕、製糸、絹織が盛んとなり、後期には中野地区は八王子と並ぶ絹市場として知られた。いまは組紐(くみひも)など機業のほか酪農、林業も行われているが、第一次産業は減少している。北部の津久井湖の観光利用も盛んとなり、道志・早戸(はやと)両川は好釣り場。花木や盆栽生産もおこっている。民俗芸能の鳥屋の獅子舞(ししまい)には神事舞踊の特色がみられ、県指定無形民俗文化財、青根の諏訪(すわ)社の大杉は県指定天然記念物である。また、津久井湖畔には尾崎咢堂(がくどう)(尾崎行雄)記念館や、峰の薬師で知られる東慶寺もある。北東部の城山(津久井城跡)南麓の根小屋には城主の居館跡や家臣の屋敷跡が残っている。2000年(平成12)中津川に宮ヶ瀬ダムが完成した。[浅香幸雄]
『『津久井町郷土誌』総集編(1986・津久井町) ▽『津久井町の歴史今昔』(2000・津久井町)』

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