日本歴史地名大系 「岩戸村」の解説
岩戸村
いわとむら
岩戸村
いわどむら
岩戸村
いわどむら
南に
元和五年(一六一九)の安芸国知行帳では高八八六・一八石とあるが、その後宮迫村が分村し、正徳二年(一七一二)の「所務役人頭庄屋郡邑受方記」によれば高五〇五・七七石。
岩戸村
いわとむら
岩戸村
いわとむら
南牧川が
近世はおおむね幕府領。寛文郷帳には元禄郷帳に枝村とする
岩戸村
いわどむら
東流する大野川に北東流してきた
岩戸村
いわどむら
岩戸村
いわどむら
岩戸村
いわどむら
岩戸村
いわとむら
岩戸村
いわとむら
- 愛知県:岡崎市
- 岩戸村
「三河古今城塁誌」に岩戸村古城として「岩戸大膳泰親君討之、天野麦右衛門、同息麦右衛門、今尾州家ニ仕官」とある。
岩戸村
いわとむら
- 熊本県:熊本市
- 岩戸村
岩戸村
いわとむら
- 神奈川県:横須賀市
- 岩戸村
北に
近世初頭は幕府直轄領だったと思われるが、延宝四年(一六七六)以前から旗本志木氏知行となり(「相模国三浦郡中石高帳」鈴木文書)、元禄一一年(一六九八)旗本本多氏の知行となる。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報