…大舎人町,織部町は応仁の乱後,西陣の機業地域の中心になる区画である。 これらの区画としての〈まち〉は,平安時代末期になると四方の街路に口を開き,四面のそれぞれが一つの町を意識するようになり,それがさらに分化,独立したものと意識されるようになると,四面町から四丁町(しちようまち)へと展開する。四丁町は形態的には四面町と異なるところはないが,四面町は四つの面をもつ一つの区画〈まち〉とされるのに対し,四丁町は四つの面が一つの〈まち〉から分立するものとみなされている。…
※「四丁町」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」