日本歴史地名大系 「四十間堀町・十人衆町」の解説 四十間堀町・十人衆町しじつけんぼりまち・じゆうにんしゆうまち 秋田県:秋田市久保田城下四十間堀町・十人衆町[現在地名]秋田市旭南(きよくなん)二丁目・大(おお)町六丁目の各一部羽州街道沿い、城(じよう)町から北へ四十間堀町・十人衆町を経て豊島(としま)町に至る茶(ちや)町筋の町並。寛文三年(一六六三)の外町屋敷間数絵図(秋田県庁蔵)に、舟大工(ふなだいく)町と四十間堀川端(かわばた)町境の旭(あさひ)川から西に大町筋・茶町筋を横断し、誓願寺門前(せいがんじもんぜん)町の北側を流れる四拾間堀がある。「梅津政景日記」元和六年(一六二〇)一〇月二三日条に「四拾間堀之田面テにておち合」「かち町ノうら町ニとう木御座候間、取候て、たはこをふき申候間」二丁ずつを盗んだ事件がみえる。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by