四谷仲町一丁目(読み)よつやなかちよういつちようめ

日本歴史地名大系 「四谷仲町一丁目」の解説

四谷仲町一丁目
よつやなかちよういつちようめ

[現在地名]新宿区四谷一丁目、港区元赤坂もとあかさか二丁目

明治五年(一八七二)に外堀西側の旧武家屋敷地などを合せて成立。幕末には北部に若林氏・柴田氏などの屋敷があり、南部は講武場付の明地であった。西は四谷仲町の通り、北は出雲広瀬藩上屋敷、南は紀州藩上屋敷に画された。正保江戸絵図では一帯は尾張藩下屋敷(寛永一四年拝領)となっている。万治元年(一六五八)町域にあたる同屋敷の南部は紀州徳川頼宣の二子松平頼純の上屋敷となった。沿革図書によると、延宝年間(一六七三―八一)にはこの屋敷北西部の一画は持組大縄地となっている。元禄八年(一六九五)頼純の上屋敷と持組大縄地はともに上地され、同一五年頼純上屋敷の南境を画していた道を含め、旧頼純上屋敷の南部が紀州藩上屋敷の添地として囲い込まれた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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