日本歴史地名大系 「旧四谷区地区」の解説 旧四谷区地区きゆうよつやくちく 東京都:新宿区旧四谷区地区現新宿区域の南東部を占める。江戸時代には四谷御門の西方にあたる四谷、その南の鮫河橋(さめがはし)、西部の内藤新宿などからなり、北部は一部が市谷(いちがや)、南端部は千駄ヶ谷(せんだがや)に属した。甲州道中が区域を東西に貫いて走り、区域西端部に道中の第一宿である内藤新宿が成立する。安永三年小間附町鑑によると地区の町屋は名主組合の一五番・二〇番組に所属、「御府内備考」では四〇余町で構成されている。明治二年(一八六九)の五〇番組制では二四番組と地方一番組に所属。同五年、旧武家地・寺社地にも正式に町名が付けられ、また大区・小区制が導入された。大区・小区制は繰返し変更され、当地区は同七年には第三大区九―一一小区、第八大区一―二小区となった。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by