日本歴史地名大系 「因尾村」の解説 因尾村いんびむら 大分県:南海部郡本匠村因尾村広義には番匠(ばんじよう)川上流域の現本匠村因尾・井(い)ノ上(うえ)・堂(どう)ノ間(ま)・上津川(こうづがわ)・山部(やまぶ)、現大野郡三重(みえ)町山部(やまぶ)を含む地をさし、狭義にはそのうちの因尾をさす。天正一四年(一五八六)一一月薩摩の島津氏は豊後に侵入し、同三日佐伯氏の拠る栂牟礼(とがむれ)城(現佐伯市)を攻略した。佐伯惟定は角土佐守らを因尾口に、因尾の地侍は岸河内(きしがわち)口(現佐伯市)に派遣した(大友家文書録)。同一八日の因尾口合戦で田北統員は分捕高名をあげ、同二八日大友義統から軍忠を賞された(「大友義統感状」大友興廃記)。同年一二月二〇日に惟定は因尾における柳井左馬助の軍忠を賞している(「佐伯惟定感状」同書)。同月二二日の大友宗麟合戦首注文一見状(同書)では、大友方が数十人の敵を討取ったとある。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by