デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「因幡八上采女」の解説 因幡八上采女 いなばのやかみの-うねめ ?-? 奈良時代の女官。采女としての禁をやぶって安貴(あき)王の妻となったために不敬罪とされ,郷里の因幡(鳥取県)八上郡に送還される。八上采女をおもう安貴王の歌が「万葉集」にのせられている。稲葉国造(くにのみやつこ)気豆の娘で,藤原麻呂(まろ)(695-737)の妻となり,藤原浜成を生んだという説もある。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by
朝日日本歴史人物事典 「因幡八上采女」の解説 因幡八上采女 生年:生没年不詳 8世紀前半,因幡国八上郡(鳥取県八頭郡河原町,郡家町,船岡町,八東町,若桜町)の郡司の娘。安貴王に想われたことが不敬罪に当たると勅断され,故郷に帰された。『尊卑分脈』には,藤原浜成(724年生まれ)の母は因幡国造気豆の娘,因幡八上采女とあるが疑わしい。<参考文献>門脇禎二『采女』 (児島恭子) 出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報 Sponserd by