日本歴史地名大系 「八上郡」の解説
八上郡
やかみぐん
- 鳥取県:因幡国
- 八上郡
因幡国中央部にあり、北は東から
〔古代〕
「和名抄」東急本国郡部では郡名に「夜加美」の訓を付す。年月日欠の山階寺僧正基童子貢進解断簡(正倉院文書)に「因幡国益上郡大江里」とみえ、「益上郡」とも記されたらしい。「続日本紀」宝亀五年(七七四)二月二三日条に、「八上郡員外少領従八位上国造宝頭」が因幡国造の姓を与えられたことがみえる。この賜姓に先立ち宝亀二年二月九日「高草采女従五位下国造浄成女等七人」が因幡国造の姓を与えられており(同書)、八上郡と高草郡に国造氏がいたことが知られ、両者は一族と考えられる。「万葉集」巻四相聞安貴王の歌一首の左注に安貴王が因幡の八上采女を娶ったが天皇の命で不敬の罪と定められ、采女は本国に送還されたことがみえる。八上采女は八上郡国造氏の子女であろう。また「尊卑分脈」は藤原氏京家の祖藤原麻呂の子浜成の母を「八上郡采女稲葉国造気豆之女」としている。八上郡国造氏は采女貢進を通じて中央貴族と関係をもっていたことが知られる。ほかに当郡内の有力豪族として赤染氏がおり、「続日本紀」宝亀八年四月一四日条によると、「八上郡人外従六位下赤染帯縄等十九人」が京・河内国・遠江国の赤染氏とともに常世連姓を与えられている。承和三年(八三六)には八上郡の人私部栗足女が二男二女の四つ子を出産して正税三〇〇束と乳母一人分の公料が養育料として与えられている(続日本後紀)。
「和名抄」は若桜・
八上郡
やかみぐん
- 大阪府:河内国
- 八上郡
〔中世〕
平安時代後期に
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報