土代村(読み)どだいむら

日本歴史地名大系 「土代村」の解説

土代村
どだいむら

[現在地名]小杉町土代

射水丘陵呉羽山くれはやま丘陵の間の丘陵地帯に立地婦負ねい郡に属し、寛永一六年(一六三九)以降富山藩領。正保郷帳によると高一〇五石余、田方五町二反余・畑方一町八反余、ほかに新田高六三石余。承応四年(一六五五)の村御印では草高一五一石余(蔵入)・免二ツ七歩、小物成銀一〇三匁八分三厘(村々御印物等書上)。元禄一一年(一六九八)郷村高辻帳では高八五石余、枝村として土代新村がある。寛政二年(一七九〇)の高物成品々手鏡では古高二四一石余・定免三ツ七歩六厘、新田高六七石余・平均免九歩八厘二毛余、銀納畑九千二一八歩、定小物成銀二三匁。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

4月1日の午前中に、罪のないうそをついて人をかついでも許されるという風習。また、4月1日のこと。あるいは、かつがれた人のこと。四月ばか。万愚節。《季 春》[補説]西洋もしくはインドに始まる風習で、日本...

エープリルフールの用語解説を読む