日本歴史地名大系 「小杉町」の解説 小杉町こすぎまち 富山県:射水郡小杉町面積:四一・二二平方キロ射水郡四町村のほぼ中央部に位置し、北は大島(おおしま)町・新湊市、東は下(しも)村・富山市、南は婦負(ねい)郡婦中(ふちゆう)町、南西から西は砺波(となみ)市・高岡市・大門(だいもん)町。町は東西約五キロ・南北約一二キロで葡萄状の細長い形をしている。およそ北半は射水平野、南半は射水丘陵に属し、その間に太閤(たいこう)山がある。河川は西部を下条(げじよう)川、東端を鍛治(かじ)川(新堀川)が北流し、いずれも富山湾に注ぐ。東西の交通路は町の北部のJR北陸本線、国道八号、主要地方道富山―高岡線、中央部の主要地方道富山―戸出(といで)―小矢部(おやべ)線、南部の北陸自動車道(小杉インターチェンジがある)、南北は国道四七二号、主要地方道小杉―婦中線がおもなものである。各時代の遺跡は射水丘陵とその北、古放生津(ほうじようづ)潟の沿岸に広がる平野部に分布する。射水丘陵上には旧石器時代から人々が住みついており、古くから知られる新造池(しんぞういけ)遺跡や上野(うわの)遺跡・中山中(なかやまなか)遺跡などがある。縄文時代には遺跡の数もふえ、南太閤山(みなみたいこうやま)I遺跡のように早期から晩期まで営まれる大遺跡をはじめ、中期前葉を中心として各時期にわたっている。弥生時代には中期以降を中心に、中山南(なかやまみなみ)遺跡や中山中遺跡・上野遺跡などの集落遺跡、小杉丸山(こすぎまるやま)遺跡のような粘土採土遺跡、南太閤山I遺跡の方形周溝墓などがある。古墳時代には、全長四三メートルの五歩一(ごぶいち)古墳をはじめとするいくつかの前方後方墳のほか、流通業務団地内から太閤山にかけての広い範囲にわたって、五〇基以上の五―六世紀代の円墳群が営まれている。奈良・平安時代になると、須恵器や鉄生産関連の遺跡が増加する。須恵器生産は、七世紀代に丘陵西部で開始されている。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by