坂谷六呂師村(読み)さかたにろくろしむら

日本歴史地名大系 「坂谷六呂師村」の解説

坂谷六呂師村
さかたにろくろしむら

[現在地名]大野市南六呂師みなみろくろし

六呂師高原の東南にある山村で、南は橋爪はしづめ村・大月おおつき村。慶長三年(一五九八)七月二一日の越州大野郡ろくろし村御検地帳の写(勝山市教育委員会蔵)によれば田方一六町七反・畠方六町七反余、村高計三九五・〇八石、うち永荒は一九・五石であった。正保郷帳によれば田方三二四石余・畠方七一石余。なお「越前国名蹟考」や天保郷帳は「坂谷六呂師村」と記すが、これは六呂師村(現勝山市北六呂師)と区別するためで、一般には「六呂師村」とよばれた。初め福井藩領、寛永元年(一六二四)勝山藩領、正保元年(一六四四)幕府領福井藩預地、貞享三年(一六八六)幕府領、元禄四年(一六九一)以降勝山藩領。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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