均田均役法(読み)きんでんきんえきほう

日本大百科全書(ニッポニカ) 「均田均役法」の意味・わかりやすい解説

均田均役法
きんでんきんえきほう

中国、明(みん)末清(しん)初に、江蘇(こうそ)、安徽(あんき)、浙江(せっこう)地方に行われた賦役(ふえき)制度。明の賦役制度の根幹は、110戸の戸数を基準とし、各里の賦役(田賦徭役(ようえき))の負担能力の均衡を前提として編成された里甲(りこう)制であった。明代後期には、銀経済の進展のもと、農民の階層分化や郷紳(きょうしん)による土地集積などに伴って、各里の負担能力が不均等になり、同時に徭役制度の改革があって、負担の対象が直接に丁・田に移行し、里甲の戸数が一定である必要もなくなった。そこで、里甲各人の賦役負担を均衡にするため、負担の源泉である土地そのものの面積を基準として里甲を再編しようとした。その面積は各府県で違いがあるが、約3000畝(ほ)で一里をつくった。この法の施行によって、里甲正役もすべて銀納化される道を開いたが、同法施行の真のねらいは、徭役免除(優免)の特権をもつ郷紳の所有田土も里甲に編成することによって、賦役制度上の矛盾を解消することにあった。

[川勝 守]

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