郷紳(読み)キョウシン(その他表記)Xiāng shēn

デジタル大辞泉 「郷紳」の意味・読み・例文・類語

きょう‐しん〔キヤウ‐〕【郷紳】

近世中国における社会階層の一。退職官吏や科挙かきょ合格者で故郷に在住している者をいい、多く特権を与えられ、事実上地方郷村を支配した。
ジェントリー

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精選版 日本国語大辞典 「郷紳」の意味・読み・例文・類語

きょう‐しんキャウ‥【郷紳】

  1. 〘 名詞 〙
  2. 田舎に住んでいる立派な人。地方の名士。
    1. [初出の実例]「郷紳(〈注〉イヘガラノヒャクショウ)来的と云るもの、また給するに金を以てし」(出典:西国立志編(1870‐71)〈中村正直訳〉二)
  3. 中国での社会階層の一つ。明・清代には退職官吏で、郷里に在住する者をいう。豊富な財力でもって広大な土地を所有し、事実上郷村を支配した。清末以後は近代化をはばむものとして、革命の目標の一つとなった。

ごう‐しんガウ‥【郷紳】

  1. 〘 名詞 〙 田舎に住んでいる立派な人。地方の有力者名望家

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改訂新版 世界大百科事典 「郷紳」の意味・わかりやすい解説

郷紳 (きょうしん)
Xiāng shēn

明代後半期から中国革命に至る時期の中国における地方の支配層。郷紳は田主(でんしゆ)あるいは業主(ぎようしゆ)と呼ばれた地主一員であったが,その中でも日常的に地域社会の動向を左右する実力者であり,2,3年の任期で去っていく地方官にまさる影響力をもっていた。

 朝廷に出仕する官僚の着用する大帯を紳(しん)といい,この大帯にメモ用の板(笏(こつ))をさしはさむことを縉(しん)と呼んだが,これに由来する縉紳しんしん)という語は秦・漢以前から官僚の雅称として用いられてきた。しかし,紳の字を,地域社会を意味する郷と組みあわせた郷紳という語が普及し,退職,請暇,待機などで出身地に居住している官僚や出身地に居宅を置いている現職の官僚を表現するようになったのは,16世紀半ばすぎの万暦年間のことである。明初以来,各府・州・県の学校制度が完備され,ここへの入学が官僚選抜のための科挙試験の基礎資格として必須になったが,これらの学校の学生は,中央の国立学校である国士監学生の資格保持者とともに生員と総称され,彼らを底辺として,儒教的教養を保持した知識人,いわゆる読書人の厚い層が地域社会に形成されていた。これら読書人の中で,郷紳は,清代中期までは,衿士(きんし)あるいは士人(しじん)という雅称で呼ばれる生員とははっきり区別され,地方官の側から地方の世論の形成者,行政の実質的支持者として重視されてきた。省の科挙試験の合格者で任官資格をもつ挙人(きよじん)は両者の中間の位置にあったが,どちらかといえば郷紳に近い。

 明代後半期以来,商品生産と貨幣経済発展は,農村内部に市場町としての鎮を発達させ,鎮をなかだちとして,県城(県都)を中心とする県も単なる行政区画にとどまらず,経済的・社会的に緊密な関係をもつ単位としての性格を帯びてきた。宋代には首都や大都市に住むことを好んだ官僚層は,明代には,このような変化の中で,出身の県に本拠を置き,出仕の期間以外はここに居住することをならわしとするようになった。官僚は,歴代のどの王朝国家においても,莫大な労力と金品の負担を必要とする国家の徭役を免除されていたが,明代後半期の郷紳は,この特権を最大限に活用し,土地所有を拡大して小作料収入を増大させ,徭役負担を忌避して庇護を求める多数の良民を奴僕として駆使しながら商業・高利貸活動にも進出した。江南デルタなど南方の各県では,莫大な富を集積した郷紳と,過重な徭役のみならず,王朝国家による臨時の租税や諸公課の増徴に苦しむ民衆とのあいだの矛盾は,明末において非常に深刻なものとなった。郷紳層自体の内部にも,東林派など,こうした矛盾の打開を目ざす一群の人々が現れたが,郷紳の利殖行為と国家収奪に対する民衆の抵抗は非常に強まり,生員層もしばしばこれらの抵抗運動に参加した。当時,各都市で起こった民変はこの運動の典型である。明末・清初に,都市・農村を通じて広く起こった奴変(ぬへん),農村での抗租暴動も民衆の反郷紳運動の一環である。こうした矛盾を処理できぬまま明朝が滅びたあと,清朝は,漢人の民族的抵抗を抑えることをもねらいながら,まず民衆の運動を弾圧し,郷紳に対しては,一面で特権を制限または廃止し,地方官の権限をこえる活動を抑制し,他面では地方支配のてことして活用したのである。

 清代には,国家財政の補充のため,従来に比べて金銭で任官資格を購入する門戸が拡大されたため,任官資格取得者の数が増大し,彼らを含めて地方に定着する読書人の層はいっそう厚くなった。清末に入ると,郷紳と衿士とをあわせた紳士という呼称がしばしば用いられ,任官の有無や取得学位・資格のいかんにかかわらず,事実上の互選によって現実の地方政治への参画権をもつに至った一群の人々が〈某某県の紳士〉と呼ばれるようになった。20世紀初頭,光緒末年から中央の資政院,地方の諮議局などの議会が新設されると,地方の郷紳・紳士は議員となって進出し,辛亥革命に際しては,彼らが,清朝打倒を志向する広範な民衆のエネルギーを利用し,各地で立憲派としての政治活動を推進した。光緒末年から辛亥革命期にかけて旧来の科挙や学校制度が廃止されたのちも,郷紳や紳士の呼称は,国外の学校や国内の新設学校の卒業者をも含め,地域社会の支配層を意味するものとして用いられ,土地革命・土地改革の時期には旧体制の担い手として革命運動の側から劣紳と蔑称され,批判と打倒の対象とされた。

 明・清時代の郷紳・紳士は,たしかに一般庶民とは異なる政治的社会的特権をもつ身分ではあったが,それは一代限りのものであり,ヨーロッパの封建領主や日本の武士のように代々世襲される固定的な身分ではなかった。それゆえ,彼らは身分的特権を維持するため,宗族単位の相互援助体制を強化し,科挙試験の合格のための私塾による受験教育や学資援助を熱心に行った。族譜・宗譜の盛んな刊行もこれと無縁ではない。また,明後半期からとりわけおびただしく出版された,省・府・県・鎮・村などの各レベルの地方志も,官撰,私撰のいかんを問わず,郷紳・紳士が周辺の読書人を動員して編纂したものであり,彼らがこの時代の地方文化の指導者であったことを示している。なお,アヘン戦争後,外国の商品や資本が流入するに際して,地主的土地所有を基盤に商人・高利貸としての活動を行っていた郷紳・紳士層が海港と各地方との仲介者として重要な役割を果たし,いわゆる半植民地・半封建社会を支えたことも忘れられてはならない。なおイギリス史におけるジェントリーにも,郷紳の訳語をあてることがある。
士大夫
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「郷紳」の意味・わかりやすい解説

郷紳
きょうしん

中国の明(みん)・清(しん)時代(1368~1912)における官僚身分をもつ者の郷里での呼称。官僚を目ざす挙人(きょじん)、貢生、監生、生員などは総称して士人(しじん)という。郷紳、士人をあわせて紳衿(しんぎん)、紳士(しんし)ともいう。有力地主の家は科挙合格者を出すことに専念し、進士(しんし)(科挙の最高学位保持者で官僚身分をもつ)、士人を出し、商業活動も行いつつ大土地所有を拡大していくものが多かった。このように郷紳、士人を出す地主の家が当時の支配階級を構成していた。郷紳は地方の実力者であり、社会秩序保持の役割を担い、また「土豪劣紳(どごうれっしん)」として権力を振るって社会矛盾を激化させた。清末、科挙制度の廃止後も、実質的な郷紳階級は維持、再生産され、革命運動の打倒目標となった。

[奥崎裕司]

『奥崎裕司著『中国郷紳地主の研究』(1978・汲古書院)』

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「郷紳」の意味・わかりやすい解説

郷紳
きょうしん
xiang-shen; hsiang-shên

中国,時代に現職あるいは退職の官僚層に対する出身地での一般的呼称。また地方の経済力のある有力な知識人としての貢生,生員,科挙の合格者としての挙人などで,官についていない者をさす場合もある。この名は官僚制度の整った宋代の頃からみられたが,郷紳が政治的,社会的に強大化したのは明代中期以後のことである。彼らの多くは富裕な大土地所有者であり,郷里における政治・社会上の発言権が強く,地方官もこれを無視できぬほどであった。また地方官や富商などと結託して貧農層を圧迫することも多かったため,清代後半には土豪劣紳の名で呼ばれた。

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百科事典マイペディア 「郷紳」の意味・わかりやすい解説

郷紳【きょうしん】

中国,明清代の現職あるいは退職官吏に対する出身地での一般的呼称。郷紳の呼称は宋代に始まるというが,政治・社会上有力な存在となり,郷村の実質的支配者となったのは明後半以降。なお,イギリスのジェントリー(ジェントルマン)を郷紳と訳すこともある。
→関連項目官戸

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旺文社世界史事典 三訂版 「郷紳」の解説

郷紳(中国)
きょうしん

明・清代の農村における支配層
郷村に住む退職官吏,科挙に合格しながら任官しない者などからなり,概して,経済的に豊かで,儒学的教養により社会的尊敬を受け,役所に出入りして儀礼・税法上様々な特権を与えられた。中華民国以後もその勢力は衰えなかった。

郷紳(イギリス)
きょうしん

ジェントリ

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「郷紳」の解説

郷紳(きょうしん)

中国で現職または退職官吏で,郷里に居住する者をいう。明代中期から清代にかけて郷紳の地方における社会的勢力,政治的発言力はすこぶる強く,官位の高下や財力の大小に従って地方行政に関与したり,営利事業に進出して権勢をふるう者が多かった。

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普及版 字通 「郷紳」の読み・字形・画数・意味

【郷紳】きようしん

村の紳士。

字通「郷」の項目を見る

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世界大百科事典(旧版)内の郷紳の言及

【地主】より

…江南への統制の弛緩とも相まって無位無官の地主にして富民となる者も増大した。
[明・清]
 江南では明初に太祖朱元璋による巨大地主の所有地の没収によって,国有地としての官田が多量に設置されるなど,大土地所有抑圧政策が実施されたが,15世紀前半期には官僚の家の大土地所有が早くも復活し,しだいに出身の県での発言力を強め,16世紀後半には郷紳と呼ばれるに至った。しかしながら明代の地主は宋・元の地主と比べて顕著な相違がある。…

【中国】より

…そもそも彼らが税制上の特権を有していたということ自体,それだけ人民の負担に転嫁されたということであった(旧中国の税制は一県定額制)。地方人民の害虫として郷紳(すぐあとに述べる),生員,胥吏の三者をあげるのは定論であったといってよい。なかでも生員への糾弾はきびしかった。…

【明】より

…これらの矛盾は特に北辺駐屯軍において顕著に現れ,軍隊の内部崩壊と財政負担の増大を招くことになった。
【社会と経済】

[郷紳の登場]
 中国の社会は近代に至るまで,基本的に農業社会であったが,宋代以降においては,流通経済の発展がかなり著しい。そのことは元代にも変りなかったにもかかわらず,明朝ははじめ非常に復古的な経済政策をとった。…

※「郷紳」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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