…さらに,仁明天皇の皇子で盲人の人康(さねやす)親王を祖と仰ぐなどの権威づけを行い,治外法権的性格を持つに至った。それとともに内部に派別も生じ,その名による一方(いちかた)と城方(じようかた)の別以外に,妙観,妙聞(門),師堂(志道),源照(玄正),戸島,大山などのいわゆる当道6派の別も生じた。室町末期には,その座務が奈良と大津坂本に分かれて行われることもあり,また,天文(1532‐55)ころには,〈本所〉ないし〈管領〉と称する後援者の支配権をめぐって,本座と新座の抗争も起こったが,両者の和解後は久我(こが)家が名目的本所となった。…
…この平曲の座は天夜尊(あまよのみこと)(仁明あるいは光孝天皇の皇子人康(さねやす)親王ともいう)を祖神とする由来を伝え,祖神にちなむ2月16日の積塔(しやくとう),6月19日の涼(すずみ)の塔に参集して祭祀を執行した。座内には総検校以下検校(けんぎよう),勾当(こうとう),座頭(ざとう)の階級があり,座衆は師匠の系譜によって一方(いちかた),城方(じようかた)の平曲2流に分かれていた。権門を本所(ほんじよ)として祭事を奉仕し,その裁判権に隷従するのは他の諸芸能の座と同様であるが,本所の庇護と座衆の強い結束によって彼らは諸国往来の自由を獲得し平曲上演の縄張を広げ,室町時代に平曲は最盛期を迎えた。…
…このとき城玄は従来の平曲を語り伝え,名の〈城〉の字も守った。この一派を城玄の住んだ京都の八坂にちなんで〈八坂流〉,また芸名にちなんで〈城方(じようかた)〉とも呼んだ。一方流が〈灌頂巻(かんぢようのまき)〉を特立させて平曲を権威づけたのに対し,八坂流はごく親しみやすい楽しめる雰囲気をもっていたようである。…
※「城方」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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